表現の画一化

童夢昨日「ヲタ道とは表現の画一化とみつけたり」という交通標語を作った。大昔『童夢』という漫画の中で大友克洋さんが使った有名な表現があって、「人間が壁のコンクリートに叩きつけられて、コンクリートが表面は滑らかなまま、球状にべこっとへこむ」というものなのだけど、見た目のインパクトが大きかったのでその後の漫画家に多大な影響を与えてパロディにされたりオマージュにされたりモチーフにされたり(?)、とにかく似たような絵柄がそこかしこで見られた。特に『キャッツアイ』『シティハンター』の北条司さんの漫画ではテンプレートのような扱いで頻出していた。

大友さんがあの絵で狙っていたのは「超能力によって、物理的にはあり得ない形にコンクリートがへこむ(普通は単に崩れる)」というものだったのだけど、あまりに皆が同じ絵を描くものだから、一部の漫画家には大友さんの当初の意図が全く伝わらなくて「コンクリートの一部に強い圧力がかかると球状にへこむ」という誤解が生まれて、パロディでもオマージュでもモチーフでもなく、物理的な法則にしたがってコンクリートを描ききったつもりになっているような人が多く現れるようになった。つまりバカです。あの絵は超能力が介在しない限りはあり得ない絵であって、でかいハンマーでコンクリを殴っても絶対あのようなへこみ方はしない。

一人の天才が描く画はたくさんのバカを生むという話。

追記:漫画にリアルを求めすぎるのはあんまり意味が無くて漫画には漫画向けの表現がある、という意見(というよりお叱り)が頻出していてそれには全く同意なのだけど、俺が言いたいのはちゃんとリアルに描けということじゃなくて、その「漫画向けの表現(コンクリ丸へこみ)」は大友さんの想像力によって生まれたのに対して、後追いの人たちは大友さんの想像力におんぶにだっこで同じ表現ばかり使っている(しかもそれが物理的に正しいという思い込みすら含んでいる)というのがバカですねと言いたいわけで、大友さん以上に派手でかっこいい「物理的にあり得ない壊れ方」を模索したらどうなの? ということ。あと「ヲタ道とは表現の画一化とみつけたり」という交通標語は単なる冗談(透明机を叩くポーズを茶化したもの)であり、大友さんの絵の話の前フリに使っただけでこの話と直接関係ない。ヲタの描く漫画にばかり画一的表現があるということを言ってるわけじゃないのです。と、いちいち説明しなくてはならないような舌足らずな文章を書いてごめんなさい。

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http://artifact-jp.com/mt/archives/200308/fiction.html