YMO

確かリアルタイムで小学校4年生の時だったと思うのだけど、YMOの『ライディーン』という曲を友人から聴かされて「おーかっこいいー」とか思い、少ない小遣いをためてYMOのアルバムを何枚か買ってきた。『TECHNOPOLIS』というこれもまた有名な曲が耳に残り、

ティーイーシーエイチエヌオーピーオーエルアイエス♪
トキオ♪
トキオ♪

などと歌まね(?)をしていたのだけども、アレは要するに今で言う「S・A・G・A 佐賀♪」と同じ事でコミック的な自虐ネタなのですか? 単なるガキだったので当時はYMOの情報は何一つ知らず、ただ聴くだけ聴いて「おー」とか思っていただけなのでよくわからないのだけど、『ライディーン』もあの勇者ライディーンが由来だったみたいだし、今盛んにゴニョゴニョやられている「オタクとか漫画とかゲームとかサブカル的なものを学術的(衒学的(?))にゴニョゴニョ言って上のステージ(?)に押し上げる人たち」と同じように、すげーカッコ悪いとされることをすげーカッコ良いことに変換していたのでしょうか? というかすげーカッコ悪いこととすげーカッコ良いことは紙一重というか表裏一体なんだよ、ということを既に20年以上前にやってたということなんでしょうか? そうなのだとしたら今改めてYMOはすげえなあと思うのだけど、マジレス気味に「ティーイーシーエイチ」とかやっていたんだとしたらかなりアレだ。多分違うと思うけど。

あとYMOの3人は『おれたちひょうきん族』とかにも喜んで出演していたので、これは絶対に自虐なんだろうと思うけど、『君に、胸キュン。』は世界レベルの音楽的センスをもってしてもやっぱり自殺級にカッコ悪かったと思う。そのカッコ悪い自分らを客観的に見てゲラゲラ笑って楽しんでTVに出ていたんだと思うと、何か空恐ろしさを感じるくらいすごいわけで、あとその流れでリキテンスタインさんとかは自分のアレを自虐で語ってるんですか? というか「俺は世界レベルの芸術的素養があるのにわざと漫画描いてんですよあはは」とかなんですか? 大マジなのだとするとどうも俺にはよくわからないんですが。仮にリキテンスタインさんが自分の絵を高い金出して買ってくれた人に対して「俺の絵は漫画でしかないから漫画として高い金を出してくれてるなら何も文句言わねえけど、ゲージツゲージツとかありがたがってるんならとんだお笑い草だゼ(!)」とか言っていたらかなりかっこいいと思うのだけどこれもよく知らない。どっちなんだろう。DIMEが勝手に「アレはサブカルで新しい芸術で、イイんですよ。スゴイんですよ。あなたも手に入れて最新の文化人になるべきなんですよ」とか言って売ったりするのもアリで、そこらへんも全部ひっくるめてリキテンスタインさんがDIME遊びをしているという勝手な想像をして俺は楽しんでるんですが。

というか俺はさっぱりサブカルがわかってない。サブカル大学のサブカル科に通ってサブカル試験を受けないとダメだ。

ああ! あとアレだ。サブカルを大マジに芸術扱いする人たちのおかげで、現在のサブカルは100年後に確実に芸術になるのですね。だから今自虐してるのは無駄な抵抗ということだ。100年後には100年後の別のサブカルがあって、そこではみんな頑張って自虐っているけど100年前のサブカルはもう既に芸術扱いされちゃってて全然面白くないと。あーつまらない結論だ。芸術に抵抗すればするほどどんどん芸術的価値が高まって、結果的に芸術にされてしまうというアレだ。言うなればカート・コバーンの自殺だ。悲しい。要するに何もわかっちゃいないんですよ俺は。何が何やらさっぱり。