センターGUY

センターGUY「分析した瞬間にそれは本質から遠ざかる」とミスタードレクスターも言ってたけどあえて。彼らが口を揃えて言う事に「センターGUYやりはじめてから(?)友達いっぱい増えたし」という言葉があって、大体において目的は「目立ちたい」「友達欲しい」の2点に絞られると思う。であるなら別にアルバローザとガン黒という既に時代の闇に消え去ろうとしていた女子高生スタイルである必要はなかっただろうに、と思うのだけど、これは『イノセンス』の感想で書いた「予測可能な範囲内」での目立ち方とかに繋がってると思った。つまり目立つにしても、全く新しい何かで目立つのではなく、既に見たことのある何かで目立つ方が多くの人の共感を呼べるということで、それがつい2〜3年前の女子高生の流行によっかかってたというのは、センターGUYの皆さんの引き出しの少なさを物語ってると思う。貧困な語彙と貧困な引き出しは密接な感じ。

全く新しい奇抜なもので目立つと孤立するだけで友達が出来ない。そう考えると元祖ガングロヤマンバを始めた最初の女子高生はなんだかかっこいいとさえ思えたりするのだけど、それは誤りで、彼女らの共有情報の核にはショップ店員(と、それをフィーチャリングしていたストリート系雑誌)が確実にあったわけで、本当にかっこいいと賞賛されるべきは最初に狂い咲きしてたショップ店員なのだと思った。そこから劣化コピーされたり拡大再生産されたりしてガングロヤマンバは形成されたと思うのですけども、それをさらに劣化拡散させたのがセンターGUYということで、その志の低さはもう驚異的だ。なんだか妙によわっちそうなのでセンターGUY狩りされるのも時間の問題だと思う。あと発信元の『Men's egg』は大洋図書さんの雑誌で、大洋図書さんは(ほぼ)アダルト関係の出版社で、大きい枠組みでいうと、ヤンキー市場というのはゆりかごから墓場までなのだと思った。それでひとつの世界が完結してる。彼らが絶対にこまっしゃくれたサブカル雑誌を読まないように、サブカル人も決してストリート系という名ばかりのヤンキー雑誌を読まない。相互不可侵条約。もう好きなだけやってくれればいい。