代官山メガネ概論(3)

今日はDIME代官山メガネの根底にある矛盾をひもとくよ。

かっこいいものAがあるとして、集団の中でAを所有する人が過半数を超えると、それは既にかっこいいものではなくなっている。

斬新で素敵な言葉Aがあるとして、愛川欽也さんがTVでその言葉Aを使うと、それは既にものすごく古臭くて惨めな言葉になっている。

こういうケースから逃れるためにみんな必死になってある存在Aの価値を落とさないようにしたり、存在Aのかっこよさにあやかろうとしているのだけど、その努力が結果的に存在Aの価値を貶めるという矛盾。これがDIMEとか代官山とかサブカルとかに必ず見られる現象で、DIMEの場合で言えば、命題「DIMEというスノビズムはだせえ」という言説それ自体がスノビッシュでだせえという矛盾を抱えていて、これに対するエクスキューズとして「とか言っちゃってる自分自身DIMEなんですけど。えへっ」というものがある。でもエクスキューズを出した時点で遊びは成立しなくなるので、巧妙に隠匿するわけです。エクスキューズは歴然としてある。でも出さない。あえて出さない遊びだったわけです。

そうすると今度はこの世界にはびこるマジレス軍の皆さんが直球でDIMEを理解しにくる。言葉そのまんまで理解しようとしてくる。そして「つーかDIMEDIMEって言ってるやつ自身がDIME的なんじゃねえの?」「なんかDIMEとか言ってるやつって自分だけわかっちゃってる風でむかつくよね」、と不貞腐れた態度で吐き捨てる。ひどいケースだと「DIMEとか書けばキーワードで人が集まるからやってんだろ。アクセス乞食うぜえ」とかになる。

でもそれに対して「実はこういうエクスキューズがあるんですよ。それを読めなかった君はマジレス厨」と指摘すると泥沼なのでやらない。そしてDIMEは終焉を迎えたわけです。

代官山メガネに存在する矛盾とは、「メガネはおしゃれである」という命題が「おしゃれなものを身につけようという魂胆が既にだせえ」というカウンターに常に晒されている部分にある。ただし代官山メガネには視力という救世主がいて、視力が悪いのだからメガネをかけるのは当たり前、おしゃれではなく地元イズムでかけているのです、というエクスキューズが成り立つわけです。地元イズムにはまた別の矛盾が存在してるわけですが。NGワード認定とかも同じ。

永遠の差異化ゲームから逃れられないのです。

代官山メガネ概論(1)
代官山メガネ概論(2)
代官山メガネ概論(4)