代官山メガネ概論(4)

しつこい! おまえの話はしつこい! という意見に一切耳を傾けず、俺は俺で好きに語らせてもらいますよ。普通にメガネ萌えなシトたちがドン引きするような変なベクトルで。しかもすごい長文で。

今日は自分の中にあるメガネ嗜好の原点に迫ろうと思う。まずは以前にもアプしたこの写真なんですけども、これは俺の中で完全にアウトなんです。それはメガネがメタルだからでは断じてない。手を添えてるから。手を添えるのがなぜダメなのかっていうと、普段メガネをかけ慣れてる人はこんな風に艶然とした笑顔でメガネに手を添えたりしないからです。つまりここでの井上和香さんはメガネに踊らされてる。メガネの持つイメージの呪縛を受けている。メガネという記号に支配されている。「どう? どう? メガネをかけたあたしどう?」になっている。これは地元イズムからかけ離れてますね。パーリィドレス的佇まい。ハレとケで言えば確実にハレのメガネです。

代官山メガネとは徹底的にケなんです。

次にこの写真なんですけど、これはメタルフレームであるにも関わらず確実に代官山メガネです。このモデルさん、石坂千尋さんが実際普段からメガネをかけているかどうかは知らない、というかそれはどうでもいいことであり、重要なのはこの写真から一切ハレの気配が出ていないということであり、石坂さんはこの写真世界の内部においてメガネを完全に支配しているということなのです。

ここでちょっと話は変わるのですけども、漫画『ベルセルク』で主人公ガッツはすごいギミックの義手をつけてます。そんでそれがすげえかっこいい。むしろ超かっこいい。ちょかっこ。なぜそれがかっこいいのかというと、ファッションであんなものつけてるわけじゃなくて、必要に迫られてつけてるから。必要に迫られてるのだけど、それでいてさらに過剰。だからかっこいいわけです。あと映画『キルビル』でエル・ドライバーがつけているアイパッチ。あれは片目が潰れているからつけてるわけで、両目見えてるのにつけてたらバカです。ファッションバカ。エル・ドライバーは片目を隠すためにアイパッチをつけており、且つ、そんじょそこらのアイパッチじゃなく素敵なアイパッチをつけてる。つまり過剰。これです。

もうちょっと脱線すると、ゴスロリの女子が意味なく常時抱いてる不気味な人形とかぬいぐるみがありますわな。でもアレは元を正せば意味なく抱いてるわけじゃなくて、真性のアレな人が必要に迫られて抱いてたわけです。人形を抱いてないと精神的にヤバい。だから抱いてる。で、ゴスロリっ娘はそのエッセンスだけ横から掠め取って、必要でもないのにファッションとして抱いてる。

何が言いたいかというと、ギア(gear)がかっこいいっつーことです。そこにはファッションではなく、スタイルがある。そして、ギアに対する愛情が過剰さを生み出すのです。これを美しいといわずしてなんという、ということです、つまり。

翻って代官山メガネなのですけども、別に視力が悪くないのにメガネかけてたっていいんです。ただ、かけるならケの佇まいをものにしてなきゃならない。「目は悪くないけど、メガネかけてないと何か気持ち悪い。気分悪い。やってらんない」くらいの勢いで、メガネをギアとして扱う。そうするともう手とか添えようって気すら起こらない。体の一部になります。体が夏になります。上目遣いとかの病的な性癖もおさまります。

そしてさっきの石坂千尋さんの写真なんですけど、見よこの殺伐とした視線を。メガネ萌えなシトに見られても決して媚びない。むしろ「何勝手に萌えてんだよこのボンクラどもが。あたしゃ、伊達や酔狂でメガネかけてるわけじゃないんだよ。メガネがあたしであたしがメガネなんだよ」という攻撃性すら帯びてます。この、自分の魅力に対する無自覚ぶりにさらに萌えるわけですね。わけですねって言われてもね。

代官山メガネ概論(1)
代官山メガネ概論(2)
代官山メガネ概論(3)