紳助さんの暴行事件で考えたこと

どっちの言い分がより正しいのかということを云々しても仕方ないので、事実がどうかという問題はうっちゃって、これをきっかけに考えたことだけ言いますけど、どうしようもなく無礼な人間というものにどうやって対処したらいいかということが問題で、紳助さんの場合は封建的な日本的な説教文化を背景にガツーンとかましてみたら、相手が帰国子女でアメリカナイズされてて権利の主張とかがすごい人で、それが全然通用しなくて頭に血が昇って暴行しちゃったということなのかなと想像した。印象としてはこういう無礼人は確実に増えてる気がする。

電車内でタバコを吸ってるバカに注意したら逆ギレされて刺されたとか理不尽がまかり通る世の中なので、マジ、こういう輩への対処法は重要だと思う。

「無礼な人間はとりあえず殺っちゃう。そして食っちゃう」というハンニバル・レクター博士は実に痛快です。というか、結局こういうファンタジーで溜飲を下げるしかまともな人には手がない。なので、「電車内のどうしようもないやつらを片っ端からぶち殺す。そしてその場でもりもり食べちゃう」とかそういうゲームとかを作ったら、まともなシトたちにウケると思う。グランドセフトオートがそれに近いのですけど、主人公がワルいシトなので、考え方が逆だと思った。そしてこういうゲームは「まともぶってる変な人」に必ず槍玉に挙げられてゲーム脳がどうだとかくだらないバッシングを受けることになってて、じゃあ本当に割を食ってるまともなシトはいったいどうやってストレスを発散すればいいのかと思う。新聞に投書とかですか。アホくさい。

以上、説教ブログでした。いったい誰を説教してるのかという話ですけども。

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id:summercontrail:20041101

追記:俺がここで言いたいのは「無礼な人間にどう対処するのが賢いか」であり、結論は「対処のしようがないのでファンタジーで溜飲を下げるしかない」であり、紳助さんが何をしたかとか女性マネージャーがどうだとかいうことはどうでもいいし、そんなことは当事者じゃないので真相はわからなくて想像の域を出ないし、俺は紳助さんの話をきっかけに、勝手に想像したことから全く別の話をしはじめただけだということであり、紳助さんに同情的だとかマネージャー批判だとか言われても困る。第一暴行を認めてるわけでもない。無礼な人間に会ったとき、思い余って暴行しないためにファンタジーが必要だという話であり、この話が仮に何かに対する批判であるとしたら、それはゲームバッシングに対する批判であり、紳助さんや女性マネージャーに対する批判では全くない。想像でどっちかを批判してどうするという話。

たとえばこういう話をしていたとしたら。「やたら礼儀にうるさくて、その人流の礼儀にそぐわないとキレる人に出会ったらどう対処すればいいのか」。こういうことを話したら今度は俺はマネージャーに同情的で紳助さんに批判的だと受け取られてしまうのか。多分受け取られるのだろうけども、……ここまで書いていてどんどんアホらしくなってきたのでミニストップでソフトクリームを買ってきてもりもり食おうと思います。

さらに追記:

# headofgarcia 『女性を何発も殴ってる時点で、とても「まともな見識」を持つ人だとは思えないですよね・・・それで批判されると、「これは事件についてじゃないですよあくまで一般論ですよ」と争点をずらす。姑息ですねえ。狡猾ですねえ。こういう人が、社会のいじめや不正を黙認する土壌を生んでるんじゃないですかね。いずれにせよ、自分を「まともな人」だとシレッと言える人ほど注意が必要だと思います。』

なんで追記を読んだ上でこういう無理矢理な解釈ができるのかよくわからない。そして俺が姑息で狡猾で社会のいじめや不正を黙認する土壌を生んでいて注意が必要な人物だとまで言われる理由は一体。これは思い切り誹謗中傷じゃないんですか。俺は一番最初に「事実はうっちゃって」「これをきっかけに考えたことだけ」と断っている。つまり紳助さんが本当に女性を何発も殴ったのか、女性は実際に無礼だったのか、ということはわかりようがないので(headofgarciaさんは「何発も殴った」と決め付けているが)、紳助さんに対しても女性に対しても批判の加えようがない。一般論しか話しようがない。争点をずらしたのではなくて初めから争点にしてない。いちいちこうやって説明するのがものすごくめんどくさい。