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的を使いすぎでしょそうでしょ

「〜〜的」という言葉の汎用性に惹かれて、もうなんでもかんでも「〜〜的」という言い方にしてしまうことに慣れすぎて何がなんだかわからない。「的」には主に3つの意味(というか使い方)があるけども、そのうちの「そのものズバリではないけども、それに似た性質をもってる」という意味、言い換えると「〜〜風」とか「〜〜ぽい」という使い方を考えてみると、「あの人って動物的だよね」とかはいいでしょう。それは使うでしょう。普通でしょう。で、ダウンタウンの松本さんが恐らく発祥だと思うのだけど、「じゃあ罰ゲームは毒蛇的なものを使って」みたいな言い方があって、つまり、「そのものズバリではないけどそれに似た性質を持ってる」ものを表すために的を使ってるんじゃなくて、そのものズバリなのに無理くりぼかしてズラすっていう使い方ね。

「まあ、ここにパソコン的なものがあるわけですけど」って、それはどこからどう見てもパソコンそのものですやん、っていう突っ込み待ちですらない、自明のものにくっつける「的」。

はい、話、ここでいったん終了しますよー。全く別の話しますよー。

そんでね、「国民的アイドル」っていう言葉があるじゃないですか(じゃないですか話法)。国民的スター、国民的ヒット曲、国民的行事。この国民的ってなんか変じゃね? 間、省略されてね? だって国民風なアイドルってわけじゃないし、国民という状態にあるアイドルじゃないし、国民チックなアイドルってわけでもない。これは「国民全てに関わる的なアイドル」でしょ。その略でしょ。「国民の総意で認められてる的アイドル」でしょ。「国民」と「的」は分けるべきではなくて、「国民的」というひとつの単語になっちゃってるから別に全然変じゃないのだけど、なんか的が一人歩きしてるのですごく変に感じるわけです俺には。

そんで最初の話に戻って、松本さんっぽくこの「国民的」を使うと、もう本当何が何やらわからなくなる。頭おかしくなってくる。というか、聞いてるほうもそれを松本さんっぽく使ってるということに気付けない、絶対に。

「まあ、民主主義の主権とかって、国民的な人たちにあるわけやん?」

もうわけがわからない。俺的にさっぱりわからない。というようなことを今日一日中考えていたので、すごく暇ですよね俺って。