宣言 俺はこれが好き

おまえらが何が好きとか、そんなもんは知らん! この場合の知らんというのは、本当に純粋に知識として知らないんですよ。本当悲しくなるよね。おまえらが何を話してるのか、俺にはさっぱりわからない。でも好きなことをしゃべってるときのおまえが好きだ。だから俺も好きなものを語るよ。聞けよバカ、コノヤロウ。

まずねー、あのねー(節子みたいな関西弁で聞いてね)、とにかく絶望ね。絶望が好き。ハンパねえ絶望で終わっちゃうのはきついんだけど、絶望の中で一人闘っていて、なんとかかんとかその中で生きていってる姿がたまらなく好きなんです。俺はゲームの人なので、もうゲームくらいしか話すことはないんだけども、たとえばわかりやすいところで言えばドラクエ5の一連の悲劇ね。だってさー、いきなりお父さん目の前で殺されてみ? それはもう絶望じゃん。まだ5歳くらいじゃん。どう考えても一人で生きていけないじゃん。しかも拉致られて強制労働。何年も。もう普通ここでくじけるよね。無理だもん。どう考えても。だけど頑張っちゃう。そしたらなんか運良く逃げられて、逃げた先では恋とか結婚とか自分の子供が産まれるとかあって、人生に希望見えてきて、幸福のピークがやってきたところで今度は石化ね。石にされちゃう。こんな絶望ねえだろっていう。また何年も石のまま時が過ぎて、やっとこさ自分の子供たちに発見してもらえて復活。でも奥さんは行方知れず。ここまでの絶望ってちょっと他のゲームでは類を見ない。なので俺はドラクエ5がたまらなく好きです。

あとねー、ちょっと話変わるんだけど、恐怖映画とかでさ、なんかそこに怖いモノがあるっぽいって状況のときに、主人公がわざわざそれを確かめに行くでしょ。それ無理。俺だったら、何の解決にもならないけどただもう怖いから布団ひっかぶって殻に閉じこもる。多分そんなことしてる間にその怖いモノに殺されちゃうと思うけど、自分からわざわざ怖いところに行くのとか無理すぎ。

でもね、ゲームだと、そういう状況結構あるのね。たとえばメトロイドとかゼルダの伝説ね。アレ、思いっきり一人っきりじゃん。怖いじゃん。だって周り敵だらけ。いつ殺されてもおかしくない。超孤独。でもなんかこう、「俺がやらないと世界が滅ぶ」っていう状況の中で、確かに怖くてリアルなら布団ひっかぶって「怖いよー怖いよー」って殻に閉じこもってるところを、勇気振り絞って前に前に出る子になるわけじゃないですか。そこんところ、すごく悲壮というか、絶望に挑む的な何かがグッとくるんですよね。

あとね、ゼルダの伝説時のオカリナ』でね、リーデッドっていうものすごく怖くて動きののろい敵キャラクター(見た目は泥で出来たゾンビみたいなやつ)がいるんですけど、普段はこいつらはしゃがみこんでいて動かないんだけど、こいつに気付かれて睨まれると体が動かなくなるのね。そんでリーデッドがマンドラゴラみたいに「キャーーーーーーーーー!!!」っていう耳をつんざく絶叫をあげて立ち上がって、そうするとカメラの視点が切り替わって、今正に動けなくなってる自分にリーデッドが迫り来る映像が大写しされるんですよ。逃げないと殺される! でも動けない! 動けない自分にのろのろと迫り来るリーデッド! もうこんなんね、怖くてやってられませんよ。心臓止まるもん。

だけどそんな死にたくなるくらいの恐怖を何度か味わっているうちに、やっぱり慣れてくる。絶望的状況であっても、冷静になって今やるべきことをやっていれば、とりあえず死なない。死ぬまでは確実に生きてる。そこに気付くと、なんだかこの状況に一筋の光明が見えてくるわけですよ。相変わらず周りは敵だらけで、草木一本生えていない荒涼たる世界が広がっていて、強大な悪の支配が続いていて、頼りになるのは自分の持つ剣1本という圧倒的絶望の中で、今! 俺は! 生きている! これですよ。

そういえば以前「管理社会大好きだ」って話もしましたね。これもいわゆる絶望じゃないですか。『HALF-LIFE2』とか、もうどう考えても終わってるもん、世界。管理されまくりで、生殖行動すら禁止されてんですよ? そんで抵抗しても絶対無駄としか思えない状況のなか、ゴードン・フリーマンはたった一人で闘いますからね。しかもカナテコ一本で。カナテコて。レーベンホルムは1人の神父(しかも半分気が狂っている)を除いて全員ゾンビ化してるしね。そんなん怖くて一人で歩けませんよ。布団かぶるしかありませんよ。

あと79年公開のゾンビ映画の本家本元『ゾンビ』ね。もう周りのゾンビを数百数千倒したところで、だからどうなの? っていうね。だってもう世界全体がゾンビになってしまっていて、ここで生き延びたところでこの先一体どんな希望があるのかっていう完全なる絶望的状況じゃないですか。どんどん知ってる人がゾンビ化していくし。親兄弟友人知人。ダメ。もうそういう状況を考えただけで死にたくなりますよ。だーけーどー、闘う。

そして何故俺がこれほどまで絶望的状況に心惹かれるのかを、半可通の心理学気取りで自己分析すると、やっぱそのまんま、自分と世界との関わりをそこに投影してるんだなと。そう思うわけです。自分を取り巻く世界は常に絶望的状況にあるけれども、でも、なんか頑張る。それしかないんだ、っていう。それがリアルでほとんど出来ていない分、逃避してゲームで頑張っちゃってるっていうね。アホか。

管理社会とか絶望的状況が好きだ。という宣言でした。