クソゲー論 神の不在とクソゲー

ゲームセンターCX DVD-BOX

ゲームセンターCX DVD-BOX

先日注文した『ゲームセンターCX DVD-BOX』(1ですけどね)が届いたので見ておったわけなのですけど、よゐこ有野さん(よろしかったら過去の有野さん情報もどうぞ [ 1 ] [ 2 ])がやらされてるゲームがひどすぎる。ファミコン時代ってあんなゲームが山ほどあったわけですけど、それにしたってひどい。特にDVD特典に収録されてる『トランスフォーマー コンボイの謎』のクソゲーっぷりには驚かされた。これ、番組視聴者からの「(超難しいから)是非これをやってください」っていうリクエストが来たからDVD特典になったらしいのですけど、こんなクソ難易度のクソゲーをリクエストする方もひどいし、それを頑張ってやっちゃう番組側もひどい。もっと面白くて難しいゲームが他にあるやろがい。やってる方も見てる方もビタイチ面白くねえのね。こういうのを「面白い」って言っちゃうのは、要するに「嘲り」でしょ。俺はゲームを嘲笑して楽しむという行為はどうかなあと思った。

そんで何故この『トランスフォーマー コンボイの謎』(以下『TF』)はクソゲーなのか、『TF』をクソゲーたらしめているものの正体とは一体何なのか、ということを考えるに、0.1秒で「神の不在」という言葉が思い浮かんだ。神っていう言葉を使うと、おいおいスピリチュアル発言かよ、って思われるかもしれませんけども、これはそうじゃなくて、ゲーム製作者=ルールマスター=神と俺が呼んでいるにすぎません念のため。

超絶難易度ゲーとして『スーパーマリオブラザーズ2』も収録されてるんですけど、このゲームは、やってると神の手がそこかしこに見えるわけですよ。「あーはいはいなるほど。ここをこういう風にジャンプすればいいわけね。でもタイミングシビアだわー」とか。ものすごく難しいのだけど、マップデザインにも、敵の動きにも、ちゃんと神の意図が反映されてる。その意図を読めれば、あとは反射神経とか記憶力とか指先の運動能力っていう、ゲーマーに必要とされる能力次第で切り抜けられる。さらに凶悪に難しくするには、タイミングを超シビアにして、把握しきれないくらい複雑なアルゴリズムを組んで、指先が追いつかないくらいの複雑な操作を要求していけばいいわけです。どんどんついていける人が減りますけども、なんとか納得できる。

で、『TF』はそういった神の意図としての難易度アップとは無関係なところで難しくなってる。神がいないからこそ難しくなってる。ずさんなマップデザインのせいで、運によってしか切り抜けられない。無駄にランダム要素の多い敵アルゴリムのせいで、勘によってしか切り抜けられない。どれだけ長時間プレイしても、ほとんど上達するということがない。先に進めたのは自分の技術が向上したからではなくて、ただ単に運がよかったから、っていう。先に進めても嬉しくもなんともない。難しいということに、意味を見出せない。奴隷が穴掘らされて、その穴を今度は埋めて、またそこを掘らされて、また埋める、っていう無意味な作業をやらされ続けて頭がおかしくなるのに似てる。

そんで俺はスーパーマリオ2みたいに神をみつけ、語らいながらゲームをするのが大好きなのですけども、神が用意した解法とは別な解法が偶然に発見できることがある。「ああ、これは意図してなかったに違いない」と確信できるときがある。これがまたたまらなく面白い。神を超えるわけです。

でも多分こういう牧歌的な神々との語らいを楽しむという風景は消えつつあって、どこをどう探しても全く神の意図が見えない、なのにクソゲーにならずにゲームとしてきちんと成立している、っていうものこそが面白いゲームとして評価されるようになりつつあるのだろうなあという気はしてます。多分俺は相当に古臭い。

あ、あとDVD特典『TF』はひどかったですけど、このDVD全体としては非常に面白いです。買って損ない。