『ぼくのエリ 200歳の少女』を観るべき

犯罪、SFといったあたりのジャンルがドーンと真ん中の柱になってて、基本ハリウッド映画ばっかり観てるハリウッダー(蔑称)なので、スウェーデン映画なんてそもそもアンテナにひっかかりようがないんですけど、たまたまTwitterで紹介されてる方がいて、オフィシャルサイト見に行って完全にやられました。

孤独な少年が初めての恋に落ちた。恋の相手は謎めいた少女。だが彼女は12歳のまま、時を超えて生き続けるヴァンパイアだった……

なんだか厨二アニメくさい設定ですけども、スウェーデン人が作るとこうも美しくリリカルな物語になるか、という驚きを素直に感じました。というか俺自身がいかに今までハリウッド映画作法に毒されまくっていたかということを思い知らされる。これしきのことで新鮮な驚きを感じてる方がおかしいのかもしんない。映画って懐大きいスよね。

ヴァンパイアが今この現代に静かに暮らしていたら、っていうテーマは国内外やりつくされてる感があったりしますけど(と言ってもそれほど自分、観てるわけじゃないです)、『ぼくとエリ』がこのジャンルでひとつ抜きんでていると思われるのは、初老の男ホーカンの存在です。少女エリを庇護し、愛する人間の存在。

エリは人間離れした運動能力を持っていて、対人格闘戦で負けるようなことはないけれど、昼間は外に出られず眠りに落ちてしまうし、居住者の許しの言葉「入っていいよ」を聞くまでは相手の住居に入ることもできない(ヴァンパイアのお約束。無理に入ると死んでしまう)。いかにヴァンパイアのエリといえども、手当たり次第人を襲うような目立つ行動をして大勢の人間に狙われたら、撃ち殺されてしまうわけです。ヴァンパイア、意外にか弱い。だからただの人間である庇護者ホーカンがエリの代わりに静かに人を殺し、エリの食糧である血液を調達してくる。この描写が冷たく現実的で、凡庸なメルヘンホラーで終わってないんですよね。

上映館が限られているため、DVD出たら是非観ていただきたいです。

(ここからネタバレです。観ようと思った人は観た後で!)





















エリを守るため、ただエリを生かし続けるために殺人を犯すホーカン。自分の殺人が発覚すればエリにまで追及の手が伸びる。それを防ぐために自決手段を手にして殺人に臨む。もうなんかグッときすぎます。

エリと主人公オスカーが出会ったとき、ホーカンは自分の役目が終わりに近づいていることを自覚したはずです。肉体の衰えのためにもうエリを守ってやることができない。愛し続けたエリの心は、自分よりもオスカーに傾いてきている。それを受け入れ、自分の命をエリに差し出すホーカン。ああ……。ホーカンのオスカーに対する嫉妬心や、エリに対する深い愛情を描くようなシーンはほとんどないんですけど、それでも映画の行間からにじみ出るホーカンの悲哀にやられます。

いじめられっ子オスカーは男へと成長し、そうとは自覚せずにホーカンの役目を引き継いでいく。無償の愛と言えばかっこいいけれども、エリの中に果たしてオスカーと同種の愛があるのかどうかってところはわかりません。エリにしてみればホーカンもオスカーも、ただ自分が生き延びるための道具としか思っていないのかもしんない。

いじめられっ子オスカーにエリは言います。「あなただって相手を殺してでも生き残りたいでしょ。それが生きるってこと。私を受け入れて。私を理解して」と。その言葉に例外はないのかもしんない。オスカーも数十年後、ホーカンと同じ死を迎えるのだろうなと思うと、たまんないんですよね……。

非現実的な題材を現実的な描写で丁寧に再構築していくこの映画。あれ? これってシャマラン監督が一番得意としていたメソッドじゃない? も〜〜、頑張れよシャマランさん……、と思いました。