ネットはリアルへの足がかりなのか

http://plaza.rakuten.co.jp/catfrog/diary/200505220001/

これから書くことは上記URLの本文とはほとんど関係ないのですけども、上記記事にインスパイアされたことは確かであります。

とある方がネットラジオを聞いてこんな感想をもらしていた。「なんかネットラジオって、既存のラジオ番組のフォーマットをコピーしてるだけなんだね。普通にトークして途中で曲かけて、リスナーから質問もらって答えて、って。結局有名人になりたいっていう願望の充足ツール? 有名人の真似事をして満足してるだけ?」。

その人も俺もネットラジオの隅から隅まで聞き倒してるわけではない(どころか全然聞いたときねえ)のでアレですけども、概ねこの意見に俺も同意していて、ネットだったらもっとはっちゃけたものが生まれてしかるべきなんじゃないの? というか、既存のラジオ番組からは想像もできなかった新しいフォーマットがなんで生まれてないの? というか。

聞くところによれば、ネットラジオには既存ラジオでは絶対不可能だったきわどい企画がいくつもあったというのですけども、それは単に「既存ラジオでもやろうと思えば別にやれたけど、大人の都合上やらなかった。やったら即番組打ち切りになるから」というだけのことなのではないかと。要するに倫理とか経済とかの問題だったのではないかと。

で、ラジオではなくブログの方に話をうつすと、既存マスメディアのフォーマットに沿いつつ、既存マスメディアがやれなかったこと、やらなかったことをやるという、大人の都合への反逆者はたくさん思い浮かぶのだけど、表現そのものへの反逆を試みている人はラジオと同じように少ないのかな、と思った。そこらへんはむしろ、今は死んだとされているテキストサイトの住人に多かったように思う。そういった住人たちが、ブログツールのせいで骨抜きにされ、資本主義だとかDIMEだとかの上層への”あがり”を目指しているのだとすれば、シックスアパートによるネット住人奴隷化計画は見事に成功してると言うほかない。言っとくけどこのゲームにあがりは存在しません、はなっから。

と、ここまで書いて、似たような話を既に書いてたことを思い出しましたので打ち切ります。どんだけ陰謀がすきなんだろう俺は。てゆーかトラックバックのマナーがどうとか、ブログとは何かとか、本当言ってる場合じゃない。奴隷自身が奴隷のルールを作ってる場合じゃない。と思いました、しみじみ。

追記

既存のラジオ番組がやりたいのに声がかからないんです! でもネットラジオの人は声をかけてくれたんです! ついでに言うと、別にインターネットをそんな特別なものだと考えておりません! もいっこ言うと、新しいものより面白いもののほうが好きです! さらに言うと、既存ラジオ番組の人からのオファー、お待ちしておりま〜す。

リアルでできないからネットでリアルの真似事したくなるのは当たり前ですよ。全員が全員人を楽しませるすばらしい才能を持っているはずはないから、望んでも多くの人が注目する中で自分の技(ラジオで言えばトーク、ブログだったら文章)を披露できないのは中学生でも知っています。それでもごっこ遊びが辞められなくてやっている人が多くいる現状

なにか、自らネットラジオの存在意義を否定してしまっているような。もし(既存ラジオに)出演できるのであれば別にネットラジオなんていらねえよっていってるような。ネットラジオやってる人たちの多くはこういう考えで、既存ラジオが”あがり”で、でも出たくても出られないから仕方なくパイの小さいネットラジオやってるんでしょうか。いや違う、という意見を聞きたい。

さらに追記 「いや違う」という意見

単に自分が好きな曲を他の人にも聞いてもらいたい、いっしょに楽しみたい。その手段としてネットラジオは最適。DJじゃ来てもらう人も敷居高いしね。

既存のラジオ局でやれないからやってるわけでもない。パーソナルな内容だからね。むしろチャットとかを利用してリスナーといっしょに作れるから既存ラジオよりずっといい。雑誌に書けないからブログやってるわけじゃないのと同じで

なるほど納得。「一緒に曲聴こうよ」はラジオじゃなきゃできない。チャット以上パブリッシュ未満(未満ていうかパブリッシュに近い)なパーソナルコミュニケーションツール