ネットとリアル

「ネットはリアルへの足がかりなのか」っていうのは「いや、そうじゃねんじゃね?」っていう俺の答えを既に用意してある疑問だったわけですけども、なぜか「ネットはリアルへの足がかりです」と逆に読む人がたくさんいて不思議に思った。それどころか「ネットはリアルへの足がかりになんか到底なれない下々の遊び場」と断罪する人までいた。

たとえば大目標として、書籍化からリアル文筆業への転身をあげるブロガーがいたり、既存ラジオへの出演をあげるネットラジオのパーソナリティが、中にはいたりする(それはそれでいい)。そしたらネットはその人たちにとっては修練の場でしかなくて、出来ればさっさと卒業したい場所でしかない。他の人たちにとっても、その程度のもんなんですかネットって。リアルで有名になったり金持ちになるための補助ツールなんですかネットって(これも俺の中には既に答えは用意してありますよ。反語ですよ。わかりやすいようにこうやってわざわざ説明してますよ)。

そんで、そういう目標にたどりつく能力を持っていない人たちは、拗ねて逆ギレして、「能力がないからネットくんだりでくすぶってるんですよ」って開き直らなきゃ、やってられないわけですか。実にアホくさい。なんでそのような目標が設定されなければならないのか。なんで拗ねる必要があるのか。なぜ既存ラジオが上で、ネットラジオが下という評価軸が出てくるのか。既存ラジオにネットラジオの人が出たら、確かにその土俵では向こうの方がうわてでしょう。というか俺は土俵が違うと言いたい。ネットラジオの方が面白いから、既存ラジオじゃなくネットラジオをよく聞いてるという人がいないとでも? いるでしょう間違いなく。自分らのやってることを卑下したら、そう思って聞いてる人をバカにすることになるんじゃないですかね。本人たちが面白いと思ってやってることを、なんで一段下に見る必要があるのか俺にはさっぱりわからない。

はてなには雑誌編集者やライターさんもたくさんいて、そういう人たちは別に「ネットに降りてきて」やってる人ばかりじゃない。中には降りてきてるつもりの人もいるでしょうけども、ネットだからこそって言って、上がってきてるつもりの人もいるんじゃないですか?

ここで話は変わってばるぼらさんの『教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書』なんですけども、あれってネット人の中では、ばるぼらさんが”あがった”として捉えられてるんですかね。俺にはある種、リアル出版界に”降りて”いったようにも思える。あのコンテンツが、ハイパーリンクも使えない全文検索もできない紙の本になることが、”あがり”だとは到底思えない。ネットのコンテンツは労力に見合った対価を得にくいから、それこそ仕方なくリアルに降りたんではないですかね。あの本の内容は、HTML文書としてネット上にあってこそ何倍にも価値が増す。仮にネット上で完結する報酬システムが、当たり前のように存在して機能している時代だったら、あの本は生まれず、HTML文書として存在し続けたんじゃないかと思います。

HTML文書の武器が「ハイパーリンク」と「検索性(とメタ検索性)」であるように、ネットラジオにも何か特有の武器が備わっているのではないかと俺は考えた。それを使ったら、既存ラジオのフォーマットを丸ごとコピーする必要はなくて、ネットだけで完結する新しいフォーマットが生まれていてもおかしくないんじゃないかと思った。そういうフォーマット上では土俵が違ってくるわけだから、既存ラジオに出る能力はなくてもネットラジオでなら既存ラジオより抜群に面白いものを作れる人たちがわんさか出てくるのではないかと思った。必要とされる能力が違ってくるというか。

そうしたらなぜか「新しいものより面白いものが好きです」という話が出てきて、そんなもん俺だって言われるまでもなく新しいだけのものより面白いものの方が好きに決まってるわけで、結論として、「じゃあネットラジオって別に聞かなくていいんだ。既存ラジオの方が能力が上の人たちが集まってて、ネットラジオより面白いって本人たちが認めちゃってるわけだから」と思ってしまうわけです。

んでも、そういう卑下してる人たちばかりではなく、ネットラジオの真の楽しみ方? みたいなものを教えてくれる人もいたので安心したわけですけど。

いい加減その、「ネットはリアルより下」って考え捨てろよっ……! ある面で優れていて、ある面で劣っていて、似通っている部分もあって、全然違う部分もある、パラレルな土俵の上でやってるんだと俺は思っている。最後に残った問題は富と名声で、この2つを手に入れたいと思う人たちにとっては、相変わらずネットはリアルの下でしかない。つまり、ネットはリアルへの足がかりだと考えることは、富と名声について考えるということなのです。少なくとも現時点においては。

そう遠くない将来、この富と名声はネット内でも完結する。そのときボブを、誰が侮ることができるか、って話ですよ。

あと関係ないけど、簡潔に書くといいように誤読され、冗長に書くとうざがられたりわかりづらいと言われてしまう。まこと文章修行は難しいものですね。

追記

  • 金を生まない場所で発揮される才能は一段低いものと見なす。
  • そのくせ、その場所で金を生む方法が出来て、正当な対価を得る人が出てくると「商業主義」「金に魂を売った」だのと難癖をつける。

むちゃくちゃねじれている。どうしたいんだこの愛すべきひねくれものどもは 笑。何が望みなんだ 笑。わけわからん。

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