優しいから続くよ(残酷であることを暗示してます)。でも拗ねっ子の面倒は見ねえぞ。拗ねるのをやめるつもりがある子にしか話が通じないことはよーくわかった。
半信半疑で猫飼ってみて、ああ、生身の存在を愛するってこういうことなのね、飼ってみたら案外簡単にわかった、っていう段階に進んだとする。こじれた童貞毒が薄まって、若干柔和な顔つきになってると思う。でもやっぱり異性にはとことんモテない。でもモテないということを理由に世の中に憎しみをつのらせる回数も確実に減ってきた。そんな状態だとしましょう。次に何したらいいのかよくわかんないと思う。
たまにDQNカップルが浮気してる再現ドラマなんかを見て、再びメラメラと憎しみの炎が燃え上がって、「こいつらは!」って気持ちになって、「俺たちはこんなやつらとは違う!」って思ったりするかもしれない。その、「こいつら」とか「俺たちは」ってのやめたら? 選択的避モテ同士に何か強い連帯感を感じてるのかもしれないけど、連帯して何かに向かって活動することが、結果的に自分の病をこじらせ、他者から「扱いづらい連中」という目で見られる原因を作ってる。モテない人たちという集団がまず先に存在していて、その集団が差別を受けてる、ということじゃない。結果としてモテてない君がまずいて、モテてない君個人が「恋愛至上主義を押し付けられて居場所をなくしている」と思い込んで苦しんでるのだから、それを「我々は虐げられている」と言い換えてはならない。
君が唯一敵意を剥きだしていいケースがあるとすれば、それはある特定の異性に話しかけたとき「キモいんだよねあんた」って面と向かって言われたり、あるいは陰でそのようなことを言われた時だけだ。実際言われたことないでしょう。いやあるかもしんないですけども、それ、かなりレアケースだと思う。柔和な顔になった君に、面と向かってキモいと言い放つことができる異性はそうはいないはずですよ(真性非モテを自称してルサンチマン爆発させてる状態だと、言われまくりだと思うけど)。もしもそういう無礼なやつがいたら、思う存分相手の差別的言動を非難したらいい。だがしかし、TVでたまたま見かけただけのDQNだの勘違い女だのに対して、まるで自分がバカにされたかのように感じて敵意剥きだしにするのは、被害妄想のガキとしかいいようがない。異性に限らず、そんなガキとはなるべく関わりたくないとほとんどの人が思ってる。
まとめるとこうなる。
- 自分自身がモテないことを我々は虐げられていると言い換えない。避モテ同士で連帯しない。
- はっきりと自分に向けられた差別的言動以外に過剰反応しない。
少なくともこれだけで選択的避モテからは十分脱却できてると思うのだけど。こっからさらに生身の女性を好きになって、振り向いてもらうって方法は俺だって知らねえよ。そんなんこっちが教えてほしい。いや、もう俺は既にリタイアしてるので教えてもらう必要はないわけですけども。ここから所謂「モテ」になるためには、君らがさんざんっぱら聞かされてきたであろう「自分に自信を持つ」とか「内面を磨く」って領域なんじゃないかしら。それは俺にもさっぱりわかりません。でもさー、そんなモテにまでクラスチェンジする必要ないじゃないですか。非モテ避モテって自己規定して、うだうだうだうだ理屈こねくりまわしてる状態から脱却できて、恋愛市場でモテないまでも人として普通に好かれる状態までもってこれたら十分じゃない? その後は相性とか運だと割り切らないと、つらすぎてやってけない。涙出てくる。逆に言うと、運良く相性のいい異性と出会えたら、普通に付き合って恋愛できる。つらいつらい別れが待ってるかもしれませんけどもね。
あと俺の中で2〜3の事例が浮かんでいて、もちろん個人名は出せないですけども、見た目がもう明らかにヲタでファッションセンスも終わってておまけに太っているという人が何人かいて、正直徹底的にモテないけども、男友達からも女友達からも愛されてて、普通に恋愛して普通に結婚してますよ。モテないことに対してルサンチマンとかまるでない。もちろん誰もその人のことをキモいなんて言ったりしない。ダサいとは言うけども。