モテ・非モテ話から離れて

id:iduru:20050911

今日は一切の茶化しも、変な言い回しも、面白おかしく書くことも放棄します。

正直に言って手が震えている。俺は知らずにやってはいけないことをやったと思う。「非モテ」という言葉の軽さの遥か向こうに、その言葉だけで規定できない人がたくさんいて、非モテという言葉を突破口にその人自身の位置を見つめ直しているということにまで想像が働かなかった。その人たちが俺の言う言葉を自分に対して向けられた言葉だと受け取ることに想像が働かなかった。俺が仮にほんの少しでも「非モテ非モテでなくなる」ことに役立つことができるとすれば、それはせいぜい「女性に全然愛されない、女性とうまく話せない」ことを原因として、世界に憎しみをつのらせる人たちまでです。もっと大きな原因のために世界を憎まざるをえなくなった人たち、そのことに付随して「女性に、人に愛されない」ということがより大きな問題としてクローズアップされてる人たちに考えが至っていなかった。これを素直に認めます。このことについて、強者の論理の謗りを受けたことに一言も返せない。

実を言うと、いづるさんに対して「君の母親は愛を知ってる。なぜ君は知らないのか。知ろうとしないのか」と書いたときに、いづるさんに母親がいなかった場合(厳密には生まれたのだからいたことは確かだけれど、愛してくれる存在としての母親がいなかった場合)、この言葉は無意味になるのではないか、ということは考えました。子供が生まれた瞬間から育児を放棄し、動物以下の扱いをする母親が現に存在することを俺はテレビのニュースでしか知らない。そうやって生を受けた人の苦しみをなんとかしてあげられると考えるほどおこがましくなれない。俺はいづるさんを、母親からの愛を受けた人間と決めつけタカをくくったのです。結果としてどちらだったのか、恐らくはいづるさんには愛してくれる存在としての母親がいるので、それに関して何も言ってこなかったのだろうと想像しているのですけども。それにしてもこうやってタカをくくって話を進めることがいかに乱暴であるかということに変わりはない。俺は確かに乱暴者だった。ごめんなさい。同様の決め付け、人格障害と称されたことが偽悪ではなく、ありのままの話であったことを、今日のリンク先を見て知った。いづるさんが、単純にモテないことでルサンチマンを爆発させてる「拗ねっ子」ではなかったことを理解した。ごめんなさい。

俺はもうひとつの恐怖にも怯えている。いづるさんは過去に受けた苦しみを免罪符としてふりかざすことはしていない。「自分は過去にこういうことがあったんだから仕方ないじゃないか」と開き直ってない。ありのままだ。そして立ち向かおうとしてる。しかし、俺の方が勝手にこれを免罪符として受け止め、言いたいことを封印し、ただ形だけ謝るだけの存在に堕ち、全くなにものも生まないままこの話を終わらせてしまうことにです。恐らくいづるさん自身も、そうやって過去の話を聞いたとたんに神妙な顔つきになり、ひきつった顔で偽りの同情を寄せる人間に、(あるいは知らず知らずに)会ってる。恐らくはネット上で。強者の論理を引っ込め、弱者の視点からものを見ようとし、失敗に終わり、弱者の視点を獲得したフリをする人間がいたと想像する。想像想像また想像で申し訳ないが、精一杯想像する以外に俺にできることはないと思う。その想像が間違っていたら、そのつど(面倒くさくても)誤りを正してもらいたい。

「おまえの言っていることは強者の論理に過ぎない。全く何の役にも立たない。黙っていろ。おまえは役立たずだ」と一蹴される恐怖を感じながら(それは強者と称される俺にも感じられるんです)、「非モテ」という、定義もさだかではない幻の集団に向けてではなく、いづるさん個人に向けて、話してます。

俺がいづるさん個人にできることは恐ろしいくらい何もない。唯一こうやってネット上で文字だけの対話(それもほとんど勘違いと想像によって補われたもの)をすることだけです。過去の苦しみを取り除くこともやわらげることもほんの一瞬忘れさせることすら全くできない。その程度の人間が「おれはおまえのパパじゃなねえ」というエントリではっきりいづるさん個人に向けて説教したことは、何様のつもりだったのかというほかないです。結果的に「猫飼え」っていう話がいづるさんに対しても、有効なトレーニングだったかもしれないことは、何のフォローにもなってない(でもいまだに実践してほしいとは思ってる)。

しかしそれ以外のエントリで書いたことは俺の認識の中で、いづるさん個人に向けた話ではないのです。俺の残酷な言葉は、選択的避モテっていう言葉で定義した自業自得の拗ねっ子たち(モテなかったことそのものを原因としたルサンチマン)に向けられている。その多くが、ほんのちょっとの意識の切り替えで、モテることはなくても避モテから脱却できると俺は考えてます。だけど、話はそういうことじゃない。俺がそういう人たち向けに書いた言葉は、強者の論理が色濃くて、いづるさんを含む(不可抗力の)(真の)弱者全てにフックしてしまっている。

俺が言い放った「病」「不幸」っていう言葉に、恐らくいづるさんは強く反応し、絶望を味わい、俺を敵とそのとき認識したと思う。そういう言葉を何の想像力も働かせることもなく不用意に言い放つ強者として。確かに俺は驕る強者だったと思うけど、多分敵ではないはずです。弱者の気持ちに考えが至らない乱暴者の粗忽者にすぎない。過ちを指摘され正されるべき存在にすぎない。そして今それは正され、反省している乱暴者としてここにいます。

だから、今後も、俺に限らず、強者と称される者の論理にも敵意を剥き出さずに耳を傾けてもらいたい。それが弱者にとって何の役にも立たない、糞以下のものだったとしたら、今度はこちらが生きている価値のない人間だという差別を受けるにも等しい。間違いは正せばいい。いづるさんは今、ネットに少なからず理解者を得ている。「キモイと面と向かって云々」はいづるさんに向けて書いたことではないのだけど、少なくともネット上で面と向かっていづるさんに「キモい」と言ってくるやつはよっぽどの悪意を持ったやつだけじゃないですか? 俺にはいづるさんの言動が奇異には映ってない。過去のことは俺にはどうにも手出しができませんから今の話だけさせてください。ネットでいづるさんに理解を寄せる人は、いづるさんと同じような苦しみを味わった人ばかりじゃないはずだ。

ネットでは理解者がいる。でも物理的社会的にごく近い場所にはいわゆるリアル友達と言える存在がいなかった。この状態から一歩進むために、具体的に何が必要なのか何をすればいいのか俺にはわかりません。悲しいくらいわからない。過去の傷のダメージから回復することが先決だとは思う。そのためにネットの理解者と語らうことが多分大事で、俺はその語らいの場にいきなりやってきてぶち壊しにして、傷口を開いたんだと思う。それを謝ります。ごめんなさい。


これは全くモテ・非モテという話じゃない。全然別の次元のいづるさんとの対話です。俺はモテ・非モテを話したい。単に女にモテないことを僻んで世界に憎しみを撒き散らしてるだけの拗ねっ子に「甘ったれんな」って拳骨落としたい。言っておくけど俺もモテない。モテたい。自分に自信がないし(あるように見えるんだとしたら君らの目は節穴だ)、内面が全く磨かれてない。ついでにいうと対人恐怖症だ。とにかく拳骨があまりにでかすぎた。もっと別なことで悩んでる人まで一緒にぶん殴った。ひどい乱暴者だった。いづるさんのように声をあげることなく、俺にぶん殴られたと感じた孤独の縁にいる人たちにも謝る。ごめんなさい。そして実際甘ったれてるだけなのに、これを機会に居直り、いづるさんの尻馬に乗ろうとしてるだけの拗ねっ子たちには呆れ返るよ……。俺はもう少し反省しておきます。静かにいろいろ考える。