感覚が今わからなくなりました

ある漢字一文字をじーっと見つめていると、なにやらそれが文字として感じられなくなり、単なるデザインとか壁に浮き出た染みのような存在になり、たとえば大きさがちょっと変わったり、フォントが微妙に変わっただけでその文字の意味や読み方がわからなくなるような、パターン認識不能状態のような、そういう錯覚に陥ることが皆さんにもあると思うわけですけども、それと似たような状態を、今俺は文字ではなく「感覚」という言葉(概念)に対して感じている。なぜかというと、感覚という言葉をあまりにもじっくり考えすぎて、ディテールに執着しすぎて、全体を塊として認識できなくなってるからです。まあそんなことはどうでもいいのですけど。

だいたいにおいて、あるモノやコトに対して「○○+感覚」という言葉を当て嵌めるとき、そのモノやコトは死ぬ。そこのニュースキャスターども、安易に○○感覚という表現をするなと。おまえらは殺人者です。

for example

  • おやつ感覚で気軽に食べられる
  • スポーツ感覚で楽しむことができる
  • 友達感覚で接する

と、こんな風に唾棄すべき「○○感覚」というウザ言葉を頭の中で次々と思い描いていたら、先述のような状態になった。感覚という言葉がもはや何をあらわしているのかよくわからない状態。日本語覚え立ての人工知能搭載美少女型アンドロイド(玄関前に素っ裸でいて、あわてて女物の下着を買ってきて無理矢理着せて部屋に保護する)が発する「カ、カ・ンカ・ク……?」という片言状態に。

ただそれだけの報告なんですけども。特に意味はありませんすいません。