ゲームがゲーオタだけのものでなくなりますように

先日、モニターとしてある家族全員に『Wii Sports』をやってもらったんですよ。で、いちおうその家族全員のMiiを事前に作っておいたんですが、すごく喜んでもらえました。とくに、野球の守備で、おばあちゃんがファインプレーをしたときの盛り上がりがすごかった!

「おばあちゃん、すごい!」ってみんなで言ってて。

若干キモ風味の、長い長い自分語りです。

俺が初めて狭義のゲーム(テレビゲームとかビデオゲームと呼ばれてるやつ)に触れたのは、小学校3年生のとき、タイトースペースインベーダーだったんですけど、以来約28年間(えー!)、ずっとゲームの虜になってる。大人になりましたので、今でこそゲームに割ける時間というものは減ってますけど、本当中学高校あたりは信じられんくらいの時間と金を使ってゲームをし、ゲームをやってない間もずーっとゲームのことを考えてた。ほんとアホですわ。ゲーム脳ですわ。俺がゲーム脳じゃなかったら誰がゲーム脳なのかって話しですわ。

で、やっぱりガキなのでいろいろ無茶っていうか、学校もろくすっぽ行かずにゲーセンにたむろしたり、3日間寝ないで家にこもってゲームし続けるとか普通にやってて、そんなんしてたら当然のことながら親は心配しますよね。一言も口をきかずに何日間も黙々とゲームし続ける息子ってのは、まあ普通に言って気持ち悪い。俺だってそんなやつが目の前にいたら「うわあ、何こいつ」って思いますよ正直。でも自分自身それだったのです。

そしたらね、親は、俺が気持ち悪いんじゃなく、ゲームというものが気持ち悪いものなのだと敵視するわけですよ当たり前の話ですけど。「うちの子を狂わせたのはこのゲームってやつだ」と。当時の俺から言わせればビタイチ自分が狂ってるとは思ってないわけであり、今思い返してみても、社会的にはおかしなガキだったかもしらんけど狂っていたとは思わない。でも親は「いったい何時までピコピコやってるつもりだ! おまえそんなことずっと続けてたら、本当にダメになるぞ。ゲームなんかやってるやつはろくな人間じゃない。異常者になってもいいのか」って言うんです。このセリフ、たとえばの話じゃなくて、ゲーム脳なんて言葉もまだ存在しない20年前に、俺が実際に言われたことですからね。実の息子つかまえて異常者て。

すっごい悔しいわけです。俺が少々時間の配分に異常をきたしていたことは認める。いくらなんでもやりすぎだったことは認める。でもゲーム自体がいけないことだという決めつけだけは認めるわけにはいかない。野球だったらどうなの? 四六時中野球のことばっか考えてて、野球の練習のしすぎで他になんにもできなくなるくらい体力使い果たしてるとか俺に言わせれば同じアホなのに、でも親はそっちなら安心なんでしょ? じゃあ将棋だったら? 奨励会に入るくらいものすごい入れ込みようだったらどうなんだと。野球も将棋もテレビゲームもみんな同じ広義のゲームじゃん。

全てのゲームを「ピコピコ」というわけのわからんオノマトペで総称し、敵視し、有害なものだと信じて、決して自分からさわろうとしない、理解しようとしない、この難攻不落の親という人種に、俺はなんとかしてゲームの面白さや価値を認めさせたいと、ずーーーーーーっと思ってきたのです。思ってきたというかその闘いの歴史がすなわち俺という存在と言って過言ではない。そりゃもうありとあらゆる手を尽くしましたとも。

父はですね、車やバイクやボートが大好きで、若い頃にはハーレーなんかに乗ってた道楽者でして、金や時間の使い方の無茶さ加減から言ったら俺の比ではないんです。そんで車という切り口ならなんとかこの牙城を崩せるかもしれないと考えた俺は、つい数年前、別段やりたくもない『グランツーリスモ3』というプレステ2のゲームを買いました。俺はレースゲーム嫌いなんですよ基本的に。でも買った。二十数年間一度も聞くことが叶わなかった「お、ゲームってものもなかなか面白いな」っていう一言をどうしても言わせたくて、ほしくもないのに買った。わざとらしく父の前でデモシーンとか流してみたりね。そしたら本当に初めて、テラヤマ家史上初めて、父がゲームに興味をもったんです。父上様がこのゲームに興味を示されたようです。

この時ほど、グラフィックの進化に感謝したことはありませんでした。父が興味を示した原因は、間違いなくこの美しいグラフィックにありました。デモムービーを、父は本物のレースと勘違いしたのです。ほくそ笑む俺。「違うんだよ。これは本物のレースを撮影したものではなくて、ゲームなんだよ。すごい時代になったでしょう。でもそれがプレイステーション2なんだよね(はあと)」と言いましたとも。そして二十数年の長い時を経て、やっと父はゲームコントローラを握ったのです。まさに生まれて初めて。

しかし……、その5分後、俺はいまだかつてない失望を感じていました。父はゲーム内の自車をろくにコントロールできなかった。「なんだ、全然うまく運転できない。やっぱり面白くないな」と父は言いました。「そうじゃない。コントローラでの操作に慣れさえすればうまく運転できるようになるんだ。だってあなたは現実の車の運転が上手いじゃないですか。絶対できる。最初は下手でも、上手く運転できるようになったら面白いんだ。車を運転することと、ゲームをすることの面白さには、違うけれど通じるものがあるんだ。なぜそれに気付かない」。口を突いて出そうになる非難というか責めというか、そんなものを俺はぐっと噛み殺し、翌日、GT FORCEというグランツーリスモ専用のステアリングコントローラを購入しました。本物の車と同じようにハンドルがついていて、ボタンではなくちゃんと足下に置かれたアクセルとブレーキペダルを踏み込んで操縦できるやつです。欲しくもないのに1万出して買いました。

父は数回、そのGT FORCEを使ってレースをしました。他の車にぶつかり、縁石に乗り上げ、壁に激突し、コースの真ん中でスピンし、最下位でゴールしました。「本物ならもっとうまく運転できる」。以来父はグランツーリスモにさわることはなく、GT FORCEはただのバカでかいゴミとなり、押し入れにしまわれ、埃をかぶり、壊れるまで使い倒してくれる主人と出会えなかった不幸を嘆いています。そのように俺には見えます。



もしかしたら、奇跡がおきるかもしれない。Wiiにさわったおばあちゃんが家族から喝采を浴び、「これ面白い」って家族全員が思えたように、またもう一度「やってみようかな」と父に思ってもらえるかもしれない。そんな期待で今いっぱいなのです俺は。