ゲームのやり込み要素とそのインセンティブ

なんか前にも全く同じ事を言った気がするけど俺はおじいちゃんなので同じ事をなんべんも言うことが仕事です。ほいでゲームにおけるやり込み要素というのは自分自身が目標を設定して自分勝手にやりこむことなのであって、「このゲームにはやりこみ要素がない」というのはそもそも文章としておかしい。成り立たない。やりこみ要素のないゲームなど、此の世に存在していない。逆に言うと「このゲームはやりこみ要素が満載」という話もおかしい。ゲーム開発者がユーザーのために予め用意しておく"やりこみ要素"は大きなお世話であり、ほっといてくれ!であり、いわばやらされ要素。やりこみはあくまでも自分自身が決めることだと思います俺は。

だけれども、たとえば自分自身が勝手に設定した目標をやっとのことで達成したとき、なんらかのサプライズ的な演出がゲームによって突然なされたとしたら。「うわ、こんなやりこみをすることまで開発者は見越してたのか!」みたいなね。それは嬉しいに決まってる。「うわああ、この演出に気付いたのは世界で俺だけかも!」みたいな感覚を味わえるかもしれない。

ここらへんを上手くゲームシステムに取り入れたのがXbox360の「実積」やPS3の「トロフィー」だと思うのだけど、発売直後に全ての隠し実積や隠しトロフィーがユーザーたちによってほじくり返されて、結局は可視化されてしまうので全然サプライズじゃないし隠しじゃないし、普通に予め用意された押しつけやりこみ要素と化してしまう。むしろそれらに振り回されて、実積は全部解除しないと気が済まないみたいな実積強迫症みたいな感じになっちゃう。これでは本末転倒だなという気がする。

「あ、こいつはこんなプレイをずっとし続けてるけど、もしかしたらこういう目標を立ててるのかもしれない」みたいなことを動的に定量的に予測して、「お、どうやら目標を達成したようだ。これだけのやりこみならこれくらいのインセンティブを与えよう」というところまで自動でやってくれる、AI的な実積 or トロフィーシステムみたいなものが現れてくれたらいいなあと思う。やる人によって、得られる実積がまちまちになるっていう。

俺は昔、ゲームキューブの『ピクミン』で、1匹のピクミンも死なすことなく完全クリアするというやりこみで、糞の役にも立たない自己満足を得たのですけども、糞の役にくらいは立つ程度のインセンティブがあったら、ゲームはほんのちょっとだけさらに面白くなるかもしれんなあ、と思いました。