『アベンジャーズ/エンドゲーム』を観たの

こんつわ。MCUの単位取り立てほやほや、にわかマーベルファンです。周りから漏れ聞こえてくるエンドゲームの評判が頗るよろしいので俄然興味がわいたんですけど、MCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)シリーズのうち、たった7作品しか観ていない自分には充分楽しめるわけがないと思い、ゴールデンウィーク中に、『キャプテン・マーベル』を除くMCU全20作品を一気鑑賞してエンドゲームに備えました。キャプテン・マーベルはつい先月末まで公開してたばっかりなので、Blu-rayも配信もまだ観られません。残念。観たかったー。

 

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おれはおまえのパパじゃないけど保護者になる(予定)

覚悟を決めた

ネコをね、飼うことにしたんです。デュフ

 

2017年6月に引っ越した時にですね、ペット可物件を借りまして、いつでも飼えるっちゃあ飼える状態にはしておいたんですけど、なかなかね、そう簡単には踏ん切りがつかない。実家暮らしの時はずっとネコがいたけど、それって責任が家族の中で分散されてたわけで、命を預かるっていう心からの覚悟がやっぱ足りてなかったなーて。

 

で、つい最近、はてな黎明期から(2004年くらいだからもう15年来!)仲良くしてもらってる方が子猫を飼い始めたのを見て、もうなんだかいてもたってもいられなくなり、ついに覚悟を決めたっていう。このタイミングで飼わなかったら、もう次のタイミングっていうのは来ないんじゃないかみたいな、わりと切迫した気持ちになったのです。

 

ブリーダーさん選び

そっからはもう早い。即座に信頼に足るブリーダーさんを血眼になって探したところ、運良く車で一時間圏内にいらっしゃることがわかり、見学の申し込みをしました。

 

ちなみに実家でのネコ飼育歴は、およそ35年とかそれくらいで、チンチラが1匹、その後ソマリが3匹です。多頭飼いって感じじゃなく、最大でも2匹が同時にいた期間が少しあるという程度。

 

初めてチンチラが家に来たときから、ネコ図鑑とか貪るように読んでいて「ソマリ可愛いなあ。将来飼いたいなあ」と思い、それはおれと妹の共通の希望だったのですぐに叶ったんですけど、ソマリを飼い始めてからは「いつかはシンガプーラが飼いたい」という気持ちをずっと持ってました。およそ30年来の夢でした。

 

その! 夢が! ついに叶う!(多分)

 

シンガプーラご存じですか? ネコ好きの人は知ってるでしょうけど、わりとマイナーな猫種なので、知らない人もいるかもしれない。こんな感じです。

 

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ぐひー! きゃわ! その名の通りシンガポール原産で、世界最小の猫種と言われてます。個体によっては「言うほど小さくないよな……」って感じの子もいますけど、基本ちっさい。特にメスは。3kgに満たない子も多い。毛色はこのセピアアグーチ1色だけでバラエティはありません。

 

で、この辺ちょっと自分でもどうかなとは思うんですけど、「その猫種らしい容姿、性格」って、すごく大事と思ってます。いや、ネコは野良だろうが雑種だろうがどんなネコでも等しくかわいいですし、飼うにあたって選り好みをする必要はないような気もしますが、でも、じゃったら猫種というものがこの世にある意味がないわけですよね。それぞれに違った魅力があるからこそ、猫種というものがある。

 

なので、シンガプーラを飼うなら、シンガプーラのど真ん中、よりシンガプーラらしい顔つき、体つき、性格の子を飼ってみたいと思ってました。漠然とネコが飼いたい、ということではなく、明確に「シンガプーラが飼いたい!」という夢があったわけです。シンガプーラじゃないならどの猫種でもいいし、雑種の子を保健所とかから引き取るのもいいなという気持ちでした。

 

まあ結局家に来た子が一番可愛く感じられて、その容姿、性格がその猫種のスタンダードのように自分の中でなっていっちゃうわけなんで、たくさんの子猫の中から「この子が一番シンガプーラらしい」とか選んでも意味はないっちゃあないんですけども 笑。

 

今回探し当てたブリーダーさんの親猫の写真を見る限り、シンガプーラど真ん中!って自分は感じました。

 

ブリーダーさんちに行てきた

  • 親猫、兄弟猫に囲まれて2〜3ヶ月を過ごし、より社会性を身に付けた子を飼える
  • 飼育環境の善し悪しや、親猫の容姿をじっくり見られる

 

この辺がブリーダーさんから直に譲ってもらうことのメリットだと思ってて、猫種が完全に決まってるならブリーダーさんちに行っちゃうのが一番じゃないかなと思う。中には「んー、この環境はちょっと……」みたいな人もいたりするけど、そしたら別のブリーダーさん探せばいいわけですしね。行って見て話せば悪徳業者かどうかは一発でわかります。

 

今回お邪魔したブリーダーさんちは、非の打ち所のない飼育環境、衛生環境で、親猫にも子猫にも深い愛情を注いでるのがすぐわかりました。よって、即決。迷うことなど何もない。予約金をその場に置いて、「ではあと一ヶ月ちょい、楽しみに待っていますので、この子のお世話をよろしくお願いします」と言って、30分ほどの滞在時間で帰ってきました。はええ。

 

飼うことを決めた子は、2019年1月1日生まれという覚えやすい誕生日の女の子で、見学時、生後約4週。このくらいだと、見ても容姿はあんまりよくわかりません。なんとなく活発とか、大人しいというのがわかるくらい。

 

「生体販売は生後49日以降」という法律がありますが、社会性を育まないまま引き取られて問題行動を起こす動物や、それを捨ててしまう飼い主が多いので、今は「生後8週(56日)以降」にするべきだという意見が主流で、超党派で法律改正目指しているそうです。当然このブリーダーさんもその辺よくご存じのようで、「うちでは生後9週(63日)以降のお引き渡しを条件としています。最長で90日までは引き渡しを延ばせます」と言われました。この辺も好感度高い。

 

マンション契約更改

この話はどうでもいいんですけど、ペット可物件を借りた際、まだネコはいませんでしたし、当面飼う予定もなかったんで、「ペットなし」という条件にしたんですよね……。

 

元々ペット可で募集されてた物件なので、周りには中型犬すら室内飼いしてる人も入居してて、ネコの一匹くらい飼っちゃっても誰も何も言ってこないだろうし、黙って飼っちゃうという選択肢もありましたけど、退去時に「あんたネコ飼ってた? 契約違反じゃね?」と揉めるのも嫌なので、管理会社に電話して契約の変更を申し出た。

 

結果、敷金礼金を1ヶ月分ずつ上乗せする必要があるということになり(募集時もペット可条件ではそうなっていた)、家賃二ヶ月分という猛烈に痛い臨時出費がありました。きつい。きついんだけどなんかちょっと嬉しい。困り顔でニヤニヤしちゃう状態。

 

ネコ用品抜かりなし

子猫が来るのは最短でも一ヶ月先なんですけど、ほら、もうこうなると狂うよね。頭が。浮かれマン爆誕。浮かれた頭でネコグッズ買いまくりっていうね。

 

  • SHARP ペットケアモニター(尿量、回数、体重をモニターしてスマホに表示してくれるトイレ)
  • 食器、その下に敷くマット
  • ソフトキャリー
  • ベッド×2
  • 爪とぎベッド
  • ブラシ、爪切り
  • おもちゃ多数
  • レーザーポインター
  • 首輪
  • キャットタワー

 

餌以外はもう全部揃ってる。完全に準備万端。今日子猫が来てくれたって問題ない。なんならその辺の野良猫拾ってきちゃおうかなみたいな。(病気が子猫に感染するからダメ!)

 

あとは、トイレが開放タイプなので、できればそれを丸ごと覆って秘密基地化、インテリア化してくれるような大きいカバーが欲しいかなという感じです。

 

子猫の名前

ブリーダーさんちで「では血統書登録しますので、お名前が決まったら……」の台詞に食い気味で「もう決まってるんです!」と言いました 笑。決まってるんですよねえ既に。

 

正式名称があること。

正式名の頭二文字を愛称にすること。

 

これ、自分が命名するときにちょっとだけこだわってることです。

 

で、今回うちに来る予定のシンガプーラ(メス)の名前は、正式名称Nalupua、愛称ナルちゃんです!! うるさい! 文句は言うな! ダサいとか可愛いとか感想は聞きたくない! もう決まったことだから!

 

ハワイ語でnaluは「波」、puaは「花」です。もうおわかりですね。

 

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ではまた、ごきげんよう。ゴゴゴゴゴゴゴ……

 

現実を正しく認識することと、役割に縛られない関係性を構築することの難しさについて

父が亡くなった。享年75歳。特に早いというわけでもない。特別な死ではない。

 

当たり前だけど、自分の父親をなくすというのは、まずたいてい人生で一度きりなので、何をどうしたらいいのか、何をどう考えたらいいのか、今もよくわからない。感情の振り幅が極端に狭まっている感覚がある。悲しみに暮れるというわけではなく(実際涙ひとつ零れていない)、「どうすればよかったのか」という処理不能の疑問で頭が空転している。

 

父は間質性肺炎という難病を患っていたため、そう長くは生きられないだろうということは予め家族にはわかっていた。だけどそれは「人は皆、いつか死ぬ」というわかりきった説法を聞くのと同じで、実感として正しく認識できていたとはとても言えない。

 

無意識では「いやいやいやそうは言ってもなんだかんだ結構大丈夫でしょ?」という、なんとも楽観的な未来しか頭の中に描けなかった。そうしないと、強いストレスを感じるから、頭がそういう処理の仕方を選んでいたようでもある。と、同時に、そう遠くない、避けられない死に際して、より大きなストレスを感じないための防御策として、「もう長くはない。いつ死んでもおかしくない」ということを繰り返し意識して自分に言い聞かすようにもしていた。

 

間質性肺炎が発病したのが約6年半前。この病気は、通常の肺炎とは違い、一度失われた肺の機能が元通り回復するということはない。正常に機能している部分をなるべく長く生かしてやるようにするしかない。風邪やインフルエンザで急性増悪が起こると、一気に肺の機能が失われて戻らないので、感染症リスクが非常に高い。慢性的に進行した場合は、10年以上生存できる場合もあるらしいが、父の場合は6年半だったわけだ。

 

病気が進行していた6年半のうち、家族が「もう本当に長くないかもしれない」と切実に感じ始めたのは、実に、亡くなる1ヶ月前というありさまだった。遅い。いかにも遅い。現実を正しく認識できていない。

 

深夜に息を引き取った後、医師より先に駆け付けてくれたケアマネージャーが、瞳孔の散大と心臓の停止を確認し、慣れているという様子を極力こちらに感じさせないように、家族を気遣いつつテキパキと遺体を清めたり、服を着せたり、ひげを剃ったり、手を組ませたりと、何をしたらいいのかわからない家族に代わっていろんなことをやってくれた。

 

その後、カジュアルな私服姿の若い医師が到着し、家族の哀しみの度合いを場の空気から推し測り、「厳粛」「神妙」「柔和」の三つから、今回は「神妙な面持ち」を選択してみましたが正解でしたでしょうか? という表情で、死亡診断書を書いてくれた。

 

それを見ている自分は、まるで寝ているような穏やかな顔の父が、今にもパッと目を覚ますのではないかと思ったし、なんとなく呼吸している音が聞こえたような気がしたし、鼻の穴に綿が詰められるときには「もしかしたら息を吹き返すかもしれない。そうなったとき、綿が詰まっていたら呼吸が苦しいだろうから今はまだ詰めないでほしい」とまで思った。この期に及んでも、まだ現実を正しく認識できていないのだ。「自分は混乱している……」と驚いた。

 

家族は私を除いて全員涙を零している。冷静なのは自分だけだ。冷静すぎて、まるで人間ではないようだ、とも思った。しかし意識にのぼらない心の奥の奥は、恐らくぐちゃぐちゃな感情が出口を失って渦巻いており、非論理的な、非科学的な、混乱状態にあった。冷静とは違う。

 

父と私は、長年の確執のせいで、お世辞にも仲が良いとは言えない間柄だった。会えば必ず父が指図をし始め、それに対して私の反発が起こる。私にも原因があり、父にも原因があり、とにかくうまくいかない。それは父が病気になったあとでもほとんど変わらなかった。

 

病気をきっかけに親子間のわだかまりが消え、新たな関係性が構築されたという美談をよく聞くが、私と父はついぞそうならなかった。私の現状認識が甘すぎて、関係性を再構築したいと思い始める前に亡くなってしまった。遅い。いかにも遅すぎる。

 

もう父は長くはないぞと自分に言い聞かせるようになってから、「私自身が後悔しないように、やり残したことがないようにした方がいい」という思いもあるにはあった。ごく一般的な、いわゆる親孝行と名のつく行動もそれなりにしたと思う。

 

なので、後悔の念はほとんどない。ただ、残念だ。

 

私と父とのコミュニケーションは、あまりに「父と息子」という関係性に縛られ過ぎていたように思う。お互いがその役割から、片時も抜け出せなかった。お互いにその役割を、相手に押しつけ合っていた。それをやめる方法はちょっと想像もつかない。

 

父は古くからの友がそれなりの数、まわりにいる。私とは比べものにならないほど、いる。単なる夢想だが、できることなら、私は父の親友に乗り移り、友人同士という役割の中で、父と向かい合い、話してみたかったなと思う。ただこれは、父が生きているうちにこうしておけばよかったという後悔とは少し違う。生きていても無理だったのだから。それが残念だ。

 

クソつまらないものを楽しむ4つの設定を意図せず行なっていた話


この記事で、こんなことを書いた。

 

なんであれ、そこに楽しさを見出せば、めんどくさいと思うことも、挫折することもありません。

 

その具体的なエピソードとして、こんなことを書いた。

 

たとえばですね、プリウスっていう車ありますよね。アレに乗ってるんですが、燃費の記録を塗り替えることが私にとってのゲームになったんですね。「今日はリッター30km走れた! もっと記録を伸ばすには、アクセルワークじゃない別の何かが必要だな」とか、攻略法考えるのが楽しいんです。記録が伸びるともっと楽しいんです。

 

で、読んだ人の多くは「こんなことの何が楽しいんだ? これのどこがゲームなんだ?」と思ったんじゃないだろうか。確かにちょっと言葉足らずだったと思う。なので、さらに踏み込んで、一見クソつまらないと思えることに楽しさを見いだす方法、ゲームとして楽しむ方法をさらに詳しく書いておこうと思う。

 

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