父が亡くなった。享年75歳。特に早いというわけでもない。特別な死ではない。
当たり前だけど、自分の父親をなくすというのは、まずたいてい人生で一度きりなので、何をどうしたらいいのか、何をどう考えたらいいのか、今もよくわからない。感情の振り幅が極端に狭まっている感覚がある。悲しみに暮れるというわけではなく(実際涙ひとつ零れていない)、「どうすればよかったのか」という処理不能の疑問で頭が空転している。
父は間質性肺炎という難病を患っていたため、そう長くは生きられないだろうということは予め家族にはわかっていた。だけどそれは「人は皆、いつか死ぬ」というわかりきった説法を聞くのと同じで、実感として正しく認識できていたとはとても言えない。
無意識では「いやいやいやそうは言ってもなんだかんだ結構大丈夫でしょ?」という、なんとも楽観的な未来しか頭の中に描けなかった。そうしないと、強いストレスを感じるから、頭がそういう処理の仕方を選んでいたようでもある。と、同時に、そう遠くない、避けられない死に際して、より大きなストレスを感じないための防御策として、「もう長くはない。いつ死んでもおかしくない」ということを繰り返し意識して自分に言い聞かすようにもしていた。
間質性肺炎が発病したのが約6年半前。この病気は、通常の肺炎とは違い、一度失われた肺の機能が元通り回復するということはない。正常に機能している部分をなるべく長く生かしてやるようにするしかない。風邪やインフルエンザで急性増悪が起こると、一気に肺の機能が失われて戻らないので、感染症リスクが非常に高い。慢性的に進行した場合は、10年以上生存できる場合もあるらしいが、父の場合は6年半だったわけだ。
病気が進行していた6年半のうち、家族が「もう本当に長くないかもしれない」と切実に感じ始めたのは、実に、亡くなる1ヶ月前というありさまだった。遅い。いかにも遅い。現実を正しく認識できていない。
深夜に息を引き取った後、医師より先に駆け付けてくれたケアマネージャーが、瞳孔の散大と心臓の停止を確認し、慣れているという様子を極力こちらに感じさせないように、家族を気遣いつつテキパキと遺体を清めたり、服を着せたり、ひげを剃ったり、手を組ませたりと、何をしたらいいのかわからない家族に代わっていろんなことをやってくれた。
その後、カジュアルな私服姿の若い医師が到着し、家族の哀しみの度合いを場の空気から推し測り、「厳粛」「神妙」「柔和」の三つから、今回は「神妙な面持ち」を選択してみましたが正解でしたでしょうか? という表情で、死亡診断書を書いてくれた。
それを見ている自分は、まるで寝ているような穏やかな顔の父が、今にもパッと目を覚ますのではないかと思ったし、なんとなく呼吸している音が聞こえたような気がしたし、鼻の穴に綿が詰められるときには「もしかしたら息を吹き返すかもしれない。そうなったとき、綿が詰まっていたら呼吸が苦しいだろうから今はまだ詰めないでほしい」とまで思った。この期に及んでも、まだ現実を正しく認識できていないのだ。「自分は混乱している……」と驚いた。
家族は私を除いて全員涙を零している。冷静なのは自分だけだ。冷静すぎて、まるで人間ではないようだ、とも思った。しかし意識にのぼらない心の奥の奥は、恐らくぐちゃぐちゃな感情が出口を失って渦巻いており、非論理的な、非科学的な、混乱状態にあった。冷静とは違う。
父と私は、長年の確執のせいで、お世辞にも仲が良いとは言えない間柄だった。会えば必ず父が指図をし始め、それに対して私の反発が起こる。私にも原因があり、父にも原因があり、とにかくうまくいかない。それは父が病気になったあとでもほとんど変わらなかった。
病気をきっかけに親子間のわだかまりが消え、新たな関係性が構築されたという美談をよく聞くが、私と父はついぞそうならなかった。私の現状認識が甘すぎて、関係性を再構築したいと思い始める前に亡くなってしまった。遅い。いかにも遅すぎる。
もう父は長くはないぞと自分に言い聞かせるようになってから、「私自身が後悔しないように、やり残したことがないようにした方がいい」という思いもあるにはあった。ごく一般的な、いわゆる親孝行と名のつく行動もそれなりにしたと思う。
なので、後悔の念はほとんどない。ただ、残念だ。
私と父とのコミュニケーションは、あまりに「父と息子」という関係性に縛られ過ぎていたように思う。お互いがその役割から、片時も抜け出せなかった。お互いにその役割を、相手に押しつけ合っていた。それをやめる方法はちょっと想像もつかない。
父は古くからの友がそれなりの数、まわりにいる。私とは比べものにならないほど、いる。単なる夢想だが、できることなら、私は父の親友に乗り移り、友人同士という役割の中で、父と向かい合い、話してみたかったなと思う。ただこれは、父が生きているうちにこうしておけばよかったという後悔とは少し違う。生きていても無理だったのだから。それが残念だ。