大喜利のことよもやま話

大喜利をやるにあたって、どのレベルの笑いをターゲットにするかっていうのは割と大問題で、万人に笑えるボケが存在しない以上、戦略として、ぬるめに多数を狙うか、高度だけども限られた人にしか通じないボケを狙うかは最終的に選択せざるを得ない。だから、そのボケが笑えるか笑えないかは別として、ぬるいかぬるくないかは割と客観的に判定できると思った。そんで、「ビタイチ笑えなかった」という評価を浴びた時、そのボケが判定者のレベルと違うレベルに存在していたために笑えなかったのか、それともレベルは合っていたのだけどそれでも尚笑えなかったのかではかなり違う。あとレベルっていうとなんか貴賎とか上下に聞こえるかもしれませんけども、それはそうじゃなくて、単にひねりとかズラしの段階を示すに過ぎない。多段ひねりを好む人もいれば、ほんのちょっとズラしたものを好む人もいるということであります。

そんで、大抵の人が自分の限界レベルぎりぎりまでひねったりズラしたりしてるものを好む。それ以上ひねってたりズレてるともう理解不能になってしまうし、自分より低いレベルまでしかひねられたりズラされてないと物足りなさを感じたりしてしまう。理想はひねりやズラしの段階が少なくても、高次レベルにいる人すら笑わせてしまう爆発力のあるボケだと思った。これが一番強い。でも難しい。

あと大喜利力は訓練である程度どうにかなる部分があって、古今東西のボケをあまねく吸収しておくと、いわゆる引き出しが増えて、定石というか、こうきたらこう、みたいなパターン化ができる。これが面白いとされる一般人の状態で、そういうボケパターンを覚えるまでもなく元々ひねりやズラしの思考法でモノを考えてる人が面白いとされる芸人の状態なのだと思った。俺とか少ない引き出しを漁りに漁ってあの程度であり、30秒とか1分の時間制限を設けられたら手も足も出ない。TVで即座にボケる芸人さんはやっぱすごいですね、という実も蓋もない話。