ゲームというエンターテイメントの弱体化

コンシューマゲームにおける最大の悲劇は、No.1プラットフォームになれなかったハードにも、「神ゲー」が降臨してしまうことだと思う。神ゲーは常にNo.1ハードで発売されるべきで、最大多数の共通体験として長く語り継がれていくべきだと俺は考えている。残念ながら宮本茂神を信仰する俺(任天堂信者ではありません)といえどもゲームキューブニンテンドー64はともに完全に敗北したハードだと認めるところなのですけども、だがしかし、ニンテンドー64には正に神ゲーと呼ばれるべき歴史的名作がいくつも降臨していたことはまぎれもない事実で、これらをプレイしないまま、PS2のゲームばかりをプレイしてきた人が数多く存在することを知っている。そして天地がひっくり返ってもありえない仮定の話をしますけど、任天堂が自社ハード以外にも全力でソフトを供給していたとして、ニンテンドー64から4年遅れて発売された(それだけ性能的に断然優位な)PS2であっても、あの神ゲー群は作られ得なかったと思う。

神々は設計思想そのものを依代として降臨するのである。

そういう意味において、レボリューションにもPS3にも(違った世界に属する)神が降臨する可能性は現世代機よりずっと高いと思う。それはとりもなおさず、PS以降弱体化してしまった「共通語としてのゲーム」が、今後5年間力を取り戻すことはないということを意味している。と思った。