再びワセダ

早稲田卒と早稲田在学のギャップ(裏ヒゲ 6/19付)。退学届けを出した瞬間に俺も気づいた事があって、それは属性を剥奪されて「何者でもなくなった」のではなくて、元々自分は何者でもなかったという愕然とする(しかし当たり前の)事実。ドラゴンクエスト5で、主人公は全ての装備を取られて薄暗い洞窟で強制労働をさせられる。敵に遭っても何も装備がないから闘えないのだが、主人公には血という切り札があって悲しい物語はやがて希望を見出す。しかし現実の社会では血すらも属性に過ぎなくて、今WEBで文章を書くことによって自己表現している人たち(それは10代〜30代に集中している)もやがて「老い」という属性剥奪装置によって一枚一枚薄皮を剥がされるように自分が何者でもなかったことを思い知らされていく。ワセダはゴール地点がラスボスとの決戦ではなく、薄暗い洞窟での強制労働だということを無意識に感じ取ってモラトリアムの道を突き進んだのであって、それ自体は責めようがない。そしてモラトリアムのゴールもまた強制労働だったという身震いするようなオチで、なんだか気が狂いそうになるやりきれなさだ。

あと重要なのは「努力することができる」ということはひとつの才能だというもうひとつの驚愕の事実。これによって確実に何割かの人間が何者にもなれないという現実は今挙げたドラゴンクエストをはじめとする世の中のありとあらゆる物語によって巧妙に隠されていて、本当に怖いですね。