イノセンス感想

ネタバレせずに感想を書くのはほぼ不可能っぽいので、映像表現を中心につらつらと書いてみる。

今はCGでほぼどんな映像も作れてしまうという事になってて、全編CGという映画も何本か出ているのだけど、「やっぱり人間の演技には敵わない」というような事が未だに言われていて、それは優れた占い師が相手の目の動きやほんのちょっとの筋肉の強張りといったものすごい細かい視覚情報を見るともなくぼんやりと見つめる事によって、相手のを読み取るといったことからもわかるように、単に無意識下に送り込まれる視覚情報の多さによる部分が大きいわけで、結局分解していくと実は演技者は人間でなくても構わなくて、今は単にCGに詰め込んでる視覚情報が足りないだけだ、という事が言える気がする。でも『イノセンス』を見るとその細かい視覚情報すら「本当に必要なの?」と思わされる。

ハリウッドSF超大作みたいな映画では人間以外ほぼ全部CGみたいなことに今はなっていて、人間の質感と背景の質感が微妙に違ってたりする。CGはのっぺり見えちゃう(それは主にCGが空気の層までを視覚情報化出来ていないことに起因している)。『イノセンス』は前作『GHOST IN THE SHELL』以上に背景や小物にCGをたくさん使っていて、前作でもこだわっていた「従来アニメが苦手としていた奥行き表現」をほぼ完全に実現しているのだけど、「背景と小物の質感」と「人物の質感」の乖離がハリウッドSF超大作の丁度逆になっていて面白い。人物は昔ながらのアニメなのに、背景や小物は実写に近くなってる。のっぺりしてるのはむしろ人物という状態。であるにも関わらず、嘘くさく感じるのは背景の方なのだった。

今回もストーリー上では、人間と魂と人形と命と、そこらへんがぐちゃぐちゃになっていて、人間って一体何なんだろうと考えざるを得ないのだけど、これは横にスライドさせると、実写と人間とアニメとキャラクターの関係にそのまま合致すると思った。要するに人形に命が存在しうるように(そのように映画で描かれてる)、アニメの命も認めろと迫られたのだと思った。そんな感じで、映像そのものがすごいのではなく、映像による表現の内容がすごいのだという当たり前のところに落ち着く。なんかやたら「映像がすごい。映像がすごい」って言われてるので反発したくなった今。確かに映像もすごい(異常に密度の高い手の込んだ映像という意味で)のだけど、それは絶対に予測可能な範囲内でのすごさだ。全く今まで誰も見たことがなかったような映像であったら、それはもうすごいとかすごくないとかの問題ではなくなって誰の共感も得られない。予測範囲内であるにも関わらずたくさんの人に「すごい」と言わせるところがすごい。禅問答みたい。

公開後に観る予定の人たちには劇中多用される引用や難解な台詞でめげないでもらいたい。原典にあたってひとつひとつ分解するのもひとつの手というか映画を観終わったあとの楽しみとして大アリだけど、映画を観ながら言葉の意味を考えていると何が何やらわからなくなる。そうやって何が何やらわからなくなりつつ、占い師のように無意識的にぼんやり全体を観るのが実は一番正しいのかもしれないけれど。