昨日のラジオ

ここ経由でラジオの存在を知り、「じゃあ聞いてみよう」と思った人もいるかもしれず、なんか責任的なこと(筋違い)をちょっと感じたりするので、少し感想を書いてみんとて書くなり。

ユリイカの「ブログ作法」が、全然ブログ作法じゃなくてはてな馴れ合い作法に堕してたんじゃないの? っていう声があり、その後のトークイベント(これは俺は実際見てないのでどんなだったかはよくわからない)も、「看板に偽りあり。"俺たちはコミュニケーションに溺れてる"っていう名前の看板 に付け替えろ だったら言行一致してるから別にいい」っていう指摘がニーツオルグのさやわかさんからあり、それを踏まえてのラジオだと(勝手に)思っていたので、馴れ合いに対する強烈なカウンターになるのかなと(勝手に)期待していたら、なんだか既視感に襲われた。

ラジオは結局1時40分までしか聞かなかった(とても聞いちゃいられなかった)ので、その後に素敵な展開があったのかもしれないですけども、少なくとも俺が聞いていた1時間40分は「インターネットの歴史からブログ論、はたまた現代社会の明日への活路まで縦横無尽に語り尽くします!」という看板には程遠かったように思った(現代社会云々はシャレだとしても)。基本的な部分で、笑い声ばかりがバカでかくて(ホストに優しくリスナーの耳に厳しすぎ)、肝心のトークが何言ってるのかよく聞き取れなかったり、人数が多すぎて誰が今発言しているのかよくわからなかったりしていたのですけども*1、それを抜きにしたって聞いちゃいられない。

「αネットワーカーが昔からのつながりを縦横無尽に生かして内輪話(それがネットの歴史なんだよ)を楽しげに話すから、その楽しい雰囲気を肌で感じたい人は聞きに来な!」っていう看板だと思った。

その証明とも言える醜悪なことがひとつあって、質問メールを読み上げる際、まだその質問内容を話し始めてないのに、質問者の名前を読み上げただけで、後ろの方から明らかに侮蔑の色を含んだ笑い声があがっていた。その質問者がブロゴスフィア(「ブログ界隈」をかっこよく言い換えた言葉です! やったね!)で小ばかにされている存在なのかもしれませんけど、少なくともあのラジオではその人をおおっぴらに嘲笑してもいいっていう空気というか共犯関係があって、尚且つそれを数百人からが聞いている放送に乗せちゃってもあるいは構わない、っていう、そういういやーな馴れ合いの空気が出来上がっていた。

別にしゃっちょこばった堅苦しい話が聞きたかったわけでは全くないのだけど、すごいメンツ(実際すごいと思いますほんと)が集まったその高揚感に溺れて、コミュニケーションに溺れて、ジャーゴンに溺れて、飲み会の与太話に溺れて、面白いことを言わなきゃっていう空気に溺れて、ごぼごぼごぼごぼごぼ……。ユリイカトークショー再来。

これはネットラジオっていう媒体にだけ現れてしまうもので、全部ラジオのせいだと俺は思いたい。面白いなーとか、尊敬できるなーとか思って読んでいたサイトの人たちを、なんだか大して面白くないって思わせてしまうネットラジオの魔力。あるいは単に人数が多すぎたからか。期待しすぎてたのかな、と思った。

これから録音してある分を全部聞いてみて、それからまた書き直すかもしれません。



追記1:ダラダラ追記していこうかなと。
まだ続きを聞いてないのですけども(今日は無理なので明日聞く)、話によると朝までラジオは続いていたらしく、俺は3時までしか録音してないので、全部は聞けないようだ(と思ったら3時以降のものを進呈してくださる人が現れた。やったね!)。そんで2時過ぎから割とエキサイティングな話があったらしい。らしいらしいですいません。あとMOKラジオというものはいつも3時過ぎてからが面白いという話も聞いた。ゲストが来ると内輪感が高じてつまらなくなることが多いという意見も聞いた。

そんでここでまたデジャヴなんですけど、テキストサイトのクラブイベントであるところの『ドクデス』に、たった一人でやってきて誰とも話さずに帰って、「超つまんねえ」っていう内容のクズレポートを脊反で上げてしまう子と、俺のメンタリティはほぼ同じなんじゃないかと。おまえは何を期待していたのかと。勝手に楽しませてもらおうと虫のいい考えで、おまえ自身は何もしてないじゃないかと。俺の場合はまずこのラジオに勝手な思い込みをしていたわけです。そんで変な期待をしていたわけです。あと1時間40分で辛抱が効かなくなってしまうというキレる十代だったわけです。俺が悪い。かなり。

恐らく俺とさやわかさんに共通しているのは「馴れ合いとか別に自分だってするし、それ自体やめろとは一言も言ってない。内輪話ダメーとかコミュニケーション全部死ねーとか全然言ってない……のにそう受け取られがち」って部分だと思う。じゃあなぜさやわかさんはユリイカトークショーに呆れ、俺はラジオに失望したのか。

トークショーは看板に偽りがあった。だからさやわかさんは呆れた。それに対してラジオには看板らしき看板はなかった。「インターネットの歴史からブログ論」っていうのはなんでもアリということと同義で、本の販促にからめて内輪の楽しい雑談をしますよ、ということは予めみんな了解していて、俺だけが粗忽者でそれに気付かず勝手な期待をした。1時間40分経ってもその期待通りじゃなかったからドクデスクズレポ君みたいな吹き上がりをかましてしまった。ということなのかなと。実際かなりの数の人たちが「ラジオ面白かった」と言ってるわけで。

で、そういう看板の勘違いがなかったとして、予め「ここでは普通に馴れ合うし、内輪話だってどんどん出ますよ。でも面白い話も出るだろうから聞きにおいで」ってことをわかってたとしたら、俺は果たしてこのラジオ(の最初2時間)を楽しめたか、「面白かった!」と喝采を送ったか。それに対しても否と言わざるを得ない残念ながら。でもこんな風に、脊反炊いて吹きこぼれちゃった♪ みたいな醜態はさらさなかったかもしれない。単に「ああ、俺はここの内輪じゃないわ……。せやさかい内輪話はおもろないわ」って、一人とぼとぼ新橋のガード下行ってコップ酒かっくらってたかもしれない。それはそれで美しいじゃない。いいじゃない。

あと関係ないけども、ラジオのゲストでもなくホストでもなかった複数の方から「おまえが最初の2時間でつまらないと言うのも無理はない。でもね……」「つまらなくてごめん」っていう、いわば俺のつまらないという感情に対する、後ろめたさみたいなものを言ってくれる人がいて、悪い意味ではなくこれが馴れ合いというものの本質なのかなーと思った。だってゲストでもホストでもないのに後ろめたさ感じる必要ない。もっと言ったらゲストだってホストだって後ろめたさ感じる必要ない。万人を楽しませてやる必要がどこにあるって話ですから。

批判という意味でなく、ただ俺は俺のつまらないという感情を垂れ流した。そういう話だったと思います。(αネットワーカーの人たちに潰されて、ネットの沼に沈められても別にかまわねえや、っていう覚悟で垂れ流しましたけどね)


*1:そういう声に呼応して、話をフる際に「○○さん、どうですか」と気をつかって名前を言うようにしていた人も中にはいたけれど