ここ一年二年、はてなに対して思ったこと

ものすごいざっくりした印象論を、それも極めてうろんな感じの話をあえてさせてもらいますけども、俺がはてなという会社に対して感じていたエキサイティングな印象が、薄皮を剥ぐように消えていって、だんだんとはてなという会社に興味を持てなくなっていることに寂しさを感じている。そもそもの最初の時点で感じていた印象が買いかぶりだったのか、それともはてなという会社のパワーがだんだんと落ちてきているのか、それはよく俺にもわからんのですけども。

一般的なWEBサービスというものの成り立ちは、そのほとんどがギークによる「これやったら面白くね?」みたいなカジュアルなノリによって支えられてきたとは思うのですけど、俺とかはそこらのパンピーなわけで、天才的なギークに対して過剰な崇拝とか期待があるというか、何か曖昧ながらも強烈なビジョンとか思想がまずあって、それをコードとして実装するのが本物のギーク、みたいな理想があるわけなんですね。

思想をコード化してくれよと。

黎明期のはてなに感じていた思想は俺の勝手な解釈に過ぎず、そんなものは元々なかったんだと言えばそれまでなんですけども。少なくとも俺が黎明期のはてなに感じていたのは、「おまえらという断片を、はてなが片っ端からつなげてやる。それによってできあがる新しい世界をおまえらに見せてやる」というものだったんですけど、まあこれは相当に俺の勝手すぎる解釈であります。ありますけども、そういうメッセージを俺は感じていた。

思想があるから仕様が決まる、と思うんですけど、たとえばはてなブックマークの様々な仕様にはそれをほとんど感じない。はてなブックマークによって実現した新しいWEB生活は、ギークが理想とするWEB生活と合致しているのか、すこぶる疑問であります。さんざんっぱら叩かれていた「無断ブックマークむかつく」という勢力に対して、徒に悪感情を抱かせることがはてなブックマークが目指していたことなのか。そんで、自己顕示欲と誹謗中傷がはびこるコメントを大量につけてあげることが、はてなブックマークの目指していた世界なのかっていう。ここらへん、仕様ひとつでなんとでもなる部分だったんじゃないかっていう。俺の記憶が確かなら、コメントやタグをつけたいという要望があって、それによってこういう仕様が決まったと思うんですけど(違ってたらごめんなさい)、それはユーザーの要望を満たすんじゃなく、はてなという会社の思想によって決めるべきことだったんじゃないかっていう。

どこまでいってもバランスの話になってしまうのかもしれませんけども、ユーザーの要望のはるか上の次元で、様々な仕様が決まっていくっていう展開を俺は見たいんです。そこにうなるような思想を感じたい。