「まとまらない」が卑下ではないことについて

じゃあどんな状態がまとまってるということなのか、ですけども、俺が『おれはおまえのパパじゃない』に望んでいるのは娯楽であって思索じゃない。思索を元にしたコントであり、変な言い回しの日記文体であり、WEBでしか読めない無茶なWEB文です。それがコンテンツじゃないんですかと。そういう形に仕上げるのが『おれパパ』の使命(プップクプー)であって、しゃっちょこばって高尚ぶって分析気取ってるような中途半端なエコーを寄越すなと、俺は俺に言いたい。

そういう形に仕上げることが出来ない大仕事に手を出して、すいません、頭が悪くて出来ませんでした、っておまえ何様? 身の程をわきまえろよっていう話ですよ。

で、体裁も整えないうちから、恥を忍んでこうした吹き上がりをかましてるのは、ひとえにこういうことです。「エキサイティングな問いかけから、なんであんたは逃げるのか」。

高橋名人も「自己言及は一日一時間まで!」と言ってたのでもうやめますけど、本当俺は残念だ。残念すぎて憎まれ口のひとつもたたかないと収まりがつかない。「先輩、どこ中?」